コンセプトは軽視されるのに、「世界観」は語られる理由
最近ずっと気になっていることがある。
「世界観が大事だよね」という話はよく聞くのに、
「コンセプトが大事だよね」という話はほとんど出てこない。
でも、この二つは似ているようで、全然違う。
むしろ順番で言えば、コンセプトの方が先に来るはずだ。
■ 世界観は“見える”、コンセプトは“見えない”
まず一番シンプルな理由。
世界観は見える。
色
雰囲気
映像
音
全部、外から確認できる。
一方でコンセプトは見えない。
何を伝えたいのか
何を否定しているのか
どこを残すのか
これは完成物から推測するしかない。
つまり、評価しにくい。
だから語られにくい。
■ 世界観は「それっぽさ」で成立する
もう一つの理由はこれ。
世界観は、ある程度“それっぽく”作れる。
色味を揃える
フィルターをかける
音を統一する
これだけで「世界観あるね」と言われる。
つまり、再現性が高い。
テンプレ化できる。
■ コンセプトは誤魔化せない
コンセプトは違う。
これは“判断基準”だから。
何を採用するか
何を切るか
どこまで許容するか
全部に影響する。
そして一貫していないと、すぐに崩れる。
だから“それっぽく”では成立しない。
■ クオリティがコンセプトの代わりになっている
ここが一番問題だと思っている。
コンセプトが曖昧なとき、人は何をするか。
とりあえずクオリティを上げる。
綺麗にする
丁寧にする
無難に整える
これで“良さそう”には見える。
でもそれは、コンセプトの代替でしかない。
判断基準がないから、見た目で埋めているだけ。
■ なぜコンセプトは教えられないのか
よく「コンセプトはセンス」と言われる。
でも実際は少し違う。
教えにくいだけだ。
理由はシンプルで、
正解が一つじゃないから。
同じテーマでも、選択の仕方はいくらでもある。
さらに言えば、途中の思考が外から見えない。
完成品は見えても、
なぜそれを選んだのか
なぜそれを捨てたのか
ここは見えない。
だから共有されない。
■ コンセプトは「才能」ではなく「ルール」
ここは誤解されやすい。
コンセプトは、ひらめきでも才能でもない。
「選択のルール」だ。
何を優先するか
何を捨てるか
何を許容するか
これを決めるだけ。
逆に言えば、これがないと全部ブレる。
■ ズレを許容できるかどうか
コンセプトがあると、ズレの扱いが変わる。
普通はズレは修正対象になる。
でもコンセプトがあると、
ズレは「解釈」になる。
むしろ、余白として残せる。
ここが世界観との決定的な違いだと思う。
世界観は揃えるもの。
コンセプトは許容するためのもの。
■ 結論
世界観が語られて、コンセプトが語られない理由はシンプルだ。
見えるか、見えないか。
作りやすいか、誤魔化せるか。
でも順番は逆だ。
本来は、
コンセプトが先で、世界観が後。
ここが逆転している限り、クオリティに振り回され続ける。
そして多分それが、今の制作の歪みなんだと思う。
