三徴七労 人が本当に求めているのは「優秀な人材」ではなく「理解者」ではないか
「三顧の礼」という言葉がある。
優れた人材を得るためには、何度でも足を運び、礼を尽くせという故事である。
しかし、ふと疑問に思った。
礼を尽くさないと来ない人間は、本当に優れているのだろうか。
礼よりも道理
人が動く理由は様々だ。
利益
名誉
礼遇
信念
道理
もし礼だけで動くのであれば、その人は礼遇を求めているだけかもしれない。
一方、本当に理念や道理に共感する人は、
「この考えは実現すべきだ」
と思えば、自ら動く。
人を動かす最も強いものは、礼ではなく信念なのではないか。
優秀とは共同体の評価軸でしかない
よく企業は、
「優秀な人材が欲しい」
と言う。
しかし、その「優秀」とは何だろう。
礼儀を理解し、
空気を読み、
組織文化に適応できる人。
それは本当に優秀なのではなく、
その共同体との適合性が高い
だけではないだろうか。
評価軸が変われば、優秀さも変わる。
つまり「優秀」は普遍的な能力ではなく、共同体の中でのみ成立する概念でもある。
面接に残る”残滓”
面接では決まって聞かれる。
「なぜ弊社を選んだのですか?」
「入社後、何をやりたいですか?」
本来この質問は、
価値観を知るため
理念との一致を確かめるため
長く活躍できるかを見るため
だったはずである。
しかし今では、
「模範解答を言えるか」
という儀式になってしまった。
質問だけが残り、その本来の意味は失われつつある。
作品に触れることも同じ
これは採用だけではない。
音楽でも、
小説でも、
絵画でも、
AI作品でも同じである。
「交流したから見る」
「相互フォローだから聴く」
「コミュニティの仲間だから評価する」
これらは作品そのものではなく、共同体への所属を評価している。
本来あるべき姿は逆だ。
作品に触れ、
理念に触れ、
そこで共鳴した人が集まる。
その結果として共同体が生まれる。
共同体が先ではなく、理解が先なのである。
三徴七労
だから私は、新しい言葉を考えた。
三徴七労(さんちょうしちろう)
三たび徴し、
七たび労う。
人を迎えるために礼を尽くすことより、
迎えた後に理解し、
支え、
労うことの方がはるかに難しい。
採用でも、
創作でも、
人間関係でも、
本当に欲しているのは「優秀な人材」ではない。
理念を理解し、共に歩める理解者なのではないだろうか。
