コミュニケーションとは何か
コミュニケーション能力という言葉がある。
世間ではよく、
「聞き上手な人」
「空気を読める人」
「相手の話を受け止められる人」
がコミュニケーション能力の高い人として扱われる。
しかし本当にそうだろうか。
私は時々疑問に思う。
コミュニケーションをキャッチボールに例えるなら、
・球を投げる
・球を受け取る
・球を投げ返す
という三つの工程がある。
ところが世間では、受け取る能力ばかりが評価される。
相手の話を聞く。
相槌を打つ。
共感する。
もちろん大切なことである。
しかし、受け取った球を返さなければキャッチボールは成立しない。
受け取るだけの人。
投げるだけの人。
どちらも会話としては未完成である。
実際には、会話が成立しているように見えても意味が通じていないことは少なくない。
相手の言葉を聞いている。
だが理解していない。
理解しているつもりだが別の意味で解釈している。
聞いているようで、自分の話したいことを待っているだけ。
SNSなどを見ると、このような会話は珍しくない。
キャッチボールというより、互いに壁打ちをしている状態である。
私はむしろ、コミュニケーション能力とは、
「相手の球を受け取った上で、自分なりの球を返せる能力」
なのではないかと思う。
そして面白いのは、世間が異常と呼ぶ人の中にも球を返せる人はいるし、健常と呼ばれる人の中にも返せない人はいることだ。
受け取れない人だけが問題視される。
しかし受け取っても返せない人もまた、コミュニケーションとしては不完全である。
だから私は、コミュニケーション能力を単なる受信能力として評価することに違和感がある。
本来の対話とは、相手の言葉を材料として新しい言葉を返す行為ではないだろうか。
キャッチャーだけでは試合は成立しない。
投手だけでも成立しない。
コミュニケーションとは、互いに球を投げ返し続ける行為そのものなのだと思う。
