本当のLGBTと、売られたLGBT
LGBTという言葉が日常的に使われるようになって久しい。だが、その言葉の中身は、実のところバラバラだ。
「自分は女性として生きたい」と思う人も、 「どっちの性でもOK」という人も、 「快楽が好きなだけ」の人も、 まとめて“LGBT”。
けれど本当にそれでいいのか?
このノートでは、“魂のズレとしてのLGBT”と、“資本主義に消費されたLGBT”を分けて見直してみたい。
【基本分類】
○ 本質的LGBT
性自認/自我の不一致による心理的従隣
体の性と思考の性のずれ
社会構造とのテンション
例:トランスジェンダー、レズビアンなど
○ 買われたLGBT(資本主義LGBT)
性的欲望・自己演出・商品価値の追求
プライドパレード、SNSブランディング、マーケティング利用
快楽と承認による自我補填
【各タイプの構造的特徴】

【課題と対話可能性】
LGBTというラベルの中に、“魂のズレ”と“欲望の商業化”が同居している
資本型LGBTは信仰・倫理の構造から完全に逸脱しており、宗教社会では拒絶反応を生む
一方で、精神的な構造型LGBTは、むしろ対話・理解の接点を持つことができる
【結論】
LGBTを「一括り」にして語ることは、
本質的な思想・苦悩を見えなくし、
消費と欲望だけが前面に出る状況を生み出している
だからこそ「快楽型」と「構造型」を明確に分けて捉え直すべきだ。
ラベルを掲げるのではなく、「テンション構造の中でどう生きているか?」という問いに還る必要がある。
本来のLGBTとは、“自我と社会構造の矛盾を抱えながらも誠実に生きようとする構造体”である。 一方、資本主義が作ったLGBTとは、“快楽と承認で空虚を埋めるためのラベル”に過ぎない。
ここを分けて考えるだけで、LGBT問題は一気にクリアになる。
