現代は、あまりにも市場を気にしすぎではないか?

最近、AI音楽界隈を見ていて思う。

「市場がないとジャンルが終わる」
「若年層に広がらないと未来がない」
「スターが現れないと文化は続かない」

そんな話をよく見かける。

確かに、それは一理ある。

ただ、少し立ち止まって考えたい。

そもそも趣味って、市場がないと成立しないものなのだろうか。


趣味は市場から生まれたのか?

多くの趣味は、本来、

好きだから始める

ものだったはずだ。

絵を描く。
詩を書く。
楽器を触る。
模型を作る。
発明する。
考察する。

そこに最初から、

市場性
マネタイズ
若年層への訴求
拡散性

を求めていただろうか。

むしろ順番は逆だ。

好きな人がいて、続ける人がいて、結果として文化になり、必要なら市場が後から生まれる。

趣味 → 共同体 → 文化 → 市場

本来はこうだった。

しかし現代は、

市場 → 可視化 → 趣味認識

に変わっている気がする。

「市場があるから趣味として認識される」

そんな逆転が起きている。

“趣味の存続”と“市場の拡大”は同じなのか?

最近見た意見で、

「趣味の存続」≒「市場の拡大」

という考え方があった。

でも、それは本当に同じだろうか。

市場が拡大するほど、
最適化が起こる。

再生される型。
ウケるジャンル。
アルゴリズム適正。
拡散性。

すると何が起きるか。

多様性が削られる。

市場は効率を求める。

効率とは、
再現性のある成功だ。

すると、少しずつ

「好き」が
「ウケる」に置き換わる。

趣味を守るための市場が、
趣味そのものを削っていく。

これは皮肉だと思う。

プラットフォーム時代の“市場”

現代の市場は少し特殊だ。

今の市場は、

attention(注意)の市場

になっている。

再生時間。
クリック率。
リプレイ率。
拡散率。

評価されるのは、

良い作品

ではなく、

アルゴリズムに適応した作品

になりつつある。

0.5秒hook文化なんかは、
その象徴かもしれない。

すると趣味は、

「何を作りたいか」ではなく、

「何が反応されるか」

へと変質していく。

市場がないと、趣味は消えるのか?

私はそうは思わない。

市場がなくなると、
消えるのではない。

見えなくなるだけだ。

小さな共同体になる。
地下化する。
個人が細く長く続ける。

それだけだ。

実際、歴史を見れば、
「終わった」と言われながら残った文化は無数にある。

むしろ危険なのは、

市場を守ろうとして、
趣味を市場化しすぎること

なのかもしれない。

最後に

現代は、あまりにも市場を気にしすぎている。

趣味ですら、

「需要ある?」
「伸びる?」
「市場ある?」

を先に考えてしまう。

でも本来、趣味とは

理解されなくても、効率が悪くても、続けたいから続けるもの

だったのではないか。

「市場がないと趣味は続かない」のではない。

“市場がないと見えなくなる”だけなのかもしれない。

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