「運用」という言葉は、本当に便利だ
便利すぎて、気づけば何でも包み込む。
そしてその便利さが、思考停止を呼び込む。
■ 「運用できてます」の違和感
日常でも仕事でもよく聞く言葉。
「運用できてます」
「現実運用としては問題ない」
一見すると、ちゃんと回っていて問題がないように聞こえる。
むしろ少しポジティブな響きすらある。
でもここに、ひとつのズレがある。
本来「運用」とは、
ただ回っている状態を指す言葉
でしかない。
そこに「良い」「適切」「問題ない」という評価は、本来含まれていないはずだ。
■ 状態語と評価語の混同
ここで起きているのは、
運用(状態)
良し悪し(評価)
この2つが混ざってしまっていること。
「運用できている」
→ だから問題ない
という飛躍。
でもこれは論理としては成立していない。
回っていることと、正しいことは別だ。
■ 「現実運用」という言葉の危うさ
さらに厄介なのが「現実運用」という言葉。
これは本来、
理想とは違うが、制約の中で回している状態
を指すはずだった。
しかし実際には、
現状を変えないための言い訳
として使われることが多い。
「現実だから仕方ない」
「運用上は問題ない」
この2つが結びついた瞬間、議論は止まる。
■ 個人に押し出された“運用”
典型例が、日常の細かいルールだ。
例えばゴミの扱い。
本来はシステムやルールで整理されるべきものが、
家庭ごとのローカルルール
個人の感覚
「ちゃんとやって」という圧
に分解される。
その結果どうなるか。
制度が払うべきコストが、個人に押し出される
そしてそれでも回っていると、
「運用できている」
と評価されてしまう。
■ それは本当に“運用”か?
ここで一度立ち止まる必要がある。
その状態は、
誰がコストを払っているのか
どこに摩擦が発生しているのか
改善される前提があるのか
これらを無視していいのか?
もし
個人がストレスを吸収し
人間関係で調整し
見えない負担で維持されている
のであれば、それは
“運用”ではなく、無理やり維持されている状態
と呼ぶべきではないか。
■ 言葉が評価を隠す
「運用」という言葉の問題はここにある。
中立なはずの言葉なのに、
ポジティブなニュアンスを帯びてしまう
その結果、
問題が見えなくなる
改善の必要性が消える
現状が正当化される
■ 最後に
「運用できている」という言葉は、便利だ。
でも便利すぎる言葉は、現実をぼかす。
だからこそ分ける必要がある。
回っているのか
それが適切なのか
この2つを。
「運用」という言葉で評価を済ませるのではなく、
その中身を問うこと
それがない限り、
“運用”という言葉は、ただの免罪符になる。
