それが本当に最善だと、本気で考えた方がいい
小学生が満員電車に揺られて通学している姿を見るたびに、いつも同じことを考える。
それは本当に、その子にとって最善なのだろうか。
もちろん、親には親の考えがある。
より良い教育環境。
将来の進学ルート。
今の社会で有利とされる評価基準。
未来の選択肢を増やすための投資。
それ自体を頭ごなしに否定したいわけではない。
実際、今の社会構造の中では、それが一つの合理的な選択になることもあるだろう。
ただ、そこで一度立ち止まって考えてほしいと思う。
それは本当に、その子にとっての最善なのか。
親が見ている「良い教育」は、多くの場合、今の社会で評価されやすい基準に沿っている。
偏差値。
ブランド。
進学実績。
将来の履歴書。
確かに、それらは現時点では優位性になり得る。
けれど、その優位性は今の評価軸に依存した、一時的なものかもしれない。
社会の基準は変わる。
時代によって求められるものも変わる。
そして何より、子ども自身が何を価値とするかは、親とは違う可能性がある。
本当に子どもにとってのアドバンテージとは、今の基準に最適化することだけではないのではないか。
むしろ、多様な基準の中から、自分で選び取れる環境を用意してあげることの方が、長い目で見れば大きな意味を持つかもしれない。
一つの正解に乗せること。
それは安心感を与える。
けれど同時に、別の可能性を見えにくくしてしまうこともある。
だからこそ、私が言いたいのは「こうするべきだ」ということではない。
有名校に行かせることが悪いとも思わない。
近所の学校が正しいとも言わない。
家庭ごとに事情は違うし、子どもも一人ひとり違う。
ただ一つだけ言えることがある。
それが本当に最善だと、本気で考えた方がいい。
世間が良いと言っているから。
みんながそうしているから。
今の評価基準では有利だから。
そういった理由だけで選んでいないか。
本当にその子にとって必要なのか。
親自身の安心や期待を、子どもの最善だとすり替えていないか。
その問いだけは、誰かに委ねず、自分の頭で考えた方がいいと思う。
