「自作自演」は本当に悪い言葉なのだろうか

「自作自演」という言葉を聞くと、多くの人は、
「一人で複数人を装うこと。」
「嘘をつくこと。」
そんな否定的なイメージを思い浮かべる。
しかし、漢字だけを見れば、少し違う景色が見えてくる。

「自作」
自ら創ること。
「自演」
自ら演じること。
つまり、自分で創り、自分で表現する。
これだけを見るなら、「自作自演」は創造性に満ちた言葉である。
映画監督が脚本を書き、自ら主演する。
ミュージシャンが作詞・作曲し、自ら歌う。
一人で作品を創り、一人で表現する。
それもまた自作自演と言える。

では、なぜ現代では否定的な意味になったのだろうか。
それは、作品ではなく人格を演じる場面が増えたからではないだろうか。

人々は大小の差こそあれ、他者と接するとき、自作自演をしている。
自分という人格を作り、
「私はこういう人間です。」
という姿を演じながら、他者へ自分を認知させている。
会社の自分。
家庭の自分。
友人の前の自分。
初対面の自分。
SNSの自分。
それぞれ少しずつ違う。
そこには、多かれ少なかれ「見せたい自分」が存在する。
私たちは皆、自分という人格を創り、その人格を社会へ提示しながら生きている。
つまり、社会とは大小の差こそあれ、自作自演の連続によって成立しているとも言える。

では、どこから問題になるのだろうか。
私は、「演じること」そのものではないと思う。
他者へ受け入れられやすい自分を演じることは、社会生活そのものでもある。
問題は、その演技によって相手の主体的な判断を意図的に操作し、自らの利益を得ようとすることだ。
ここで初めて「詐欺」という言葉が現れる。

しかし、この境界は現代では以前より曖昧になっている。
アイドルはどこまで本人なのか。
VTuberはどこまでキャラクターなのか。
配信者はどこまで素なのか。
キャバクラやホストは仕事なのか、それとも本当の感情なのか。
人は演じる。
見る側もまた、その演技を見て期待を抱く。
そして、その期待と現実の間に大きな隔たりが生まれたとき、
「騙された。」
という感情が生まれる。

だから「自作自演」は、単なる虚言者を表す言葉ではない。
人は皆、自分という人格を創り、それを演じながら社会の中で生きている。
その演技は芸術にもなる。
仕事にもなる。
コミュニケーションにもなる。
そして、ときには欺きにもなる。
重要なのは演じることではない。
誰のために演じているのか。
何を信じさせようとしているのか。
自作自演とは、虚言を表す言葉ではなく、
「人は自らを創り、自らを演じながら他者と関わる存在である」
という、人間そのものを表した言葉なのかもしれない。

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