一期一会の「一期」を失う時代
「一期一会」
この言葉、
普通は
「出会いを大切に」
という意味で語られる。
でも最近、
ちょっと違う見方が浮かんだ。
もしかすると現代って、
一期一会の“一期”を失いやすい時代
なのでは?
という話だ。
一期一会の本質は「一会」ではなく「一期」なのでは?
一般的には、
一期一会というと、
一生に一度の出会い
みたいに言われる。
でも、
これ少し違和感がある。
だって、
人との縁って、
別に一回きりじゃない。
再会する。
何度も関わる。
昨日まで敵だった人が、
数年後には友人になることもある。
逆もある。
つまり、
縁は続く。
んだよな。
では何が“一期一会”なのか。
多分、
「期」
だ。
同じ人でも、同じ“一会”ではない
同じ人物でも、
出会うタイミングが違えば、
もう別の出会いになる。
学生時代の友人。
社会人になってからの友人。
子供ができてからの友人。
同じ人なのに、
関係性は全然違う。
つまり、
同じ人物でも、同じ“一会”ではない。
一期一会って、
「一回しか会えない」
ではなく、
“その時の交差点”は二度と戻らない
という意味に近いのかもしれない。
だから、
縁は続く。
だが、期は続かない。
になる。
人生を動かすのは「縁」より「期」
ここで少し見え方が変わる。
よく、
人脈が大事
縁が大事
と言われる。
もちろん間違いではない。
でも、
本当に人生を変えるのって、
実は
「期」
なのでは?
同じ言葉でも、
去年は刺さらなかった。
でも今年急に刺さる。
同じ本。
同じ曲。
同じ人。
なのに、
人生側が変わった瞬間、
急に接続する。
つまり、
縁があっても、期が来なければ接続しない。
逆に、
一瞬の期が人生を変える。
昔の「期を失う」と現代の「期を失う」は違う
昔にも、
「機を逃す」
「期を失う」
という感覚はあった。
でも昔って、
多くの場合、
自分の意思決定が遅かった
んだと思う。
行かなかった。
決断しなかった。
勇気が出なかった。
つまり、
期は来ていた。
でも掴めなかった。
という後悔だった。
でも現代、
ちょっと違う気がする。
現代は「意思決定していないのに期を失う」
今の社会って、
本人が決める前に、
大量のものが先回りしてくる。
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の洪水。
すると、
本当なら
数年後に必要だったもの
が、
“まだ期じゃない自分”
に届く。
そして、
「なんか違う」
で終わる。
逆に、
本当は別のものに出会いたかったのに、
似た概念
へ誘導され、
本来の出会いを失うこともある。
これ、
結構怖い。
フォロワー文化は「一期」の前借りなのかもしれない
現代のフォロワー文化って、
ある意味、
縁を先に作る文化
でもある。
フォロー。
登録。
通知。
相互。
接触。
でも、
縁 = 接続
ではない。
接続には、
「期」
が必要。
本当に期が来た人は、
数ヶ月後、
数年後、
急に戻ってくる。
「今わかった」
「なんか急に刺さった」
という形で。
だから、
フォロワー数が悪いわけじゃない。
縁は増える方がいい。
でも、
期を無理やり作ろうとした瞬間、歪みが生じる。
本当に出会いたかったものじゃなくなる。
タイミングが違った。
そういうこともある。
ではどうするか
多分、
答えはシンプル。
一期は作れない。
でも、
一期を迎える準備はできる。
再遭遇できる状態を作る。
支流を作る。
また会えるようにしておく。
無理やり刺そうとしない。
そして、
まだ得られるはずの
一会
を追いかける。
現代は、
一期一会の
「一期」
を失いやすい時代なのかもしれない。
だからこそ、
自分で、
まだ巡っていない
一期
を迎えにいく。
