結果だけが強くフォーカスされる世界

無理心中のニュースがまた流れてきた。

毎回同じ流れになる。

「ありえない」
「許されない」
「親としてどうなんだ」

で、終わる。

いや、終わってないんだけどな。

むしろそこから先が本題だろって話なのに、
なぜか毎回“結果”だけで処理される。


この世界、明らかに構造が偏ってる。

短期と長期で分けるとわかりやすい。

短期は、結果を見る。
誰がやったか、何が起きたか、責任はどこか。

長期は、過程を見る。
なぜそこに至ったのか、どんな圧があったのか、再発を防ぐには何を変えるべきか。

本来はこの2つ、セットで扱うべきなんだけど、
現実は短期だけが異常に肥大化してる。


例えば「親の責任」という言葉。

本来は、子どもを守るための概念のはず。

でも現実では

「全部背負え」
「頼るな」
「逃げるな」

みたいな圧に変換されてる。

で、限界まで追い詰められて破綻したら

「無責任だ」
「ありえない」

って切り捨てる。

いや、それ構造としておかしくないか?

責任は背負わせるけど、背負いきれなかったときの出口は用意しない。
その上で破綻したら個人だけを断罪する。

これ、ほぼ無限責任だろ。


さらに厄介なのが、倫理の扱い。

本来、倫理って再発を防ぐための長期設計のはずなんだけど、
今は結果に対する反射的な判断に置き換わってる。

「それは悪い」
「許されない」

ここで止まる。

でもそれって、

“なぜ起きたか”には一切触れてない。


結果だけを見て安心するのは簡単だ。

線を引いて、区切りをつけて、
「これはダメでした」で終われるから。

でもそれ、問題解決じゃない。

ただ議論を閉じてるだけ。

構造を放置したまま、
次の同じ結果を待ってる状態。


短期の評価が不要だとは言わない。

最低限の線引きは必要だと思う。

でも、それ“だけ”で終わってるのが問題。

短期で断罪して、長期を見ない。

それを繰り返してる限り、
同じことは何度でも起きる。


結果を見て安心する社会は、

原因を放置することで、
同じ結果を作り続ける。

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