マス市場は赤字になり得る
──個人が向かうべきでない理由と、油圧回路の話
「ブルーオーシャンを狙え」とよく言われる。
特に新規参入の文脈では、マス市場こそチャンスだ、と。
しかし実際には、ブルーに見える期間は一瞬で終わる。
需要が見えた瞬間、フォーマットが定義された瞬間、そこには必ず競合が現れる。
しかもその競合は、創造性ではなく資本の力で市場を奪っていく。
マス市場は「創造性を資本で代替できる」
マス向けの市場では、こういう流れが起きる。
最初に誰かが面白いものを作る
フォーマットが共有される
二番煎じ、三番煎じが大量に現れる
最後は広告費・露出・価格競争になる
ここで勝敗を決めるのは、
アイデアでも
思想でも
作り手の個性でもない
どれだけ資本を投下できるかだけだ。
つまりマス市場とは、
創造性を資本で代替できる構造
を前提に成立している市場
だと言える。
マス市場は本質的に赤字化しやすい
マス市場は、最初からこう設計されている。
規模が前提
成長が前提
継続投資が前提
広告、制作、人件費、更新コスト。
どれか一つでも止めた瞬間、流れは止まる。
だからマス市場は、
個人が黒字で居続けることを
前提にしていない
市場でもある。
なぜ「大企業」はマスを相手にするのか
ここでよく勘違いされるのが、
「大企業は優秀だからマス市場を制している」
という見方だ。
でも実態は逆に近い。
どこかがマスを相手にしなければならないから、
その役割を引き受けるために
人を集めた結果が大企業
という構造的必然がある。
共同体の数が減った結果としてのマス市場
もともと人類社会は、
小さな共同体
限定された人数
顔の見える関係
の中で生産を行ってきた。
それぞれの共同体は、所属する人々のためだけに生産していればよかった。
しかし現代では、
企業によって生産が集中し
国という単位で統合され
市場が巨大化した
結果として、
「不特定多数=マス」を
相手にする部門が必須になった
これは戦略ではなく、構造上避けられない役割分担だ。
大企業がマスを相手にしているのは、能力の問題ではなく、構造を引き受けているだけ。
個人がマス市場に流動を合わせると壊れる
問題はここだ。
個人が、この「マスを相手にする流量・圧力」を
そのまま引き受けようとすると、
新規参入時は一瞬うまくいく
競合が現れる
体力勝負になる
消耗しながら市場を奪い合う
結果、
二番煎じ側は
体力を削って市場を奪うだけ
創造でも独立でもなく、ただの耐久戦になる。
油圧回路の比喩
これを機械の話で例えると分かりやすい。
油圧には、
メイン回路(高圧・高流量・動力用)
パイロット圧回路(低圧・制御用)
がある。
パイロット圧は、
繊細
判断と制御のため
直接力を出す回路ではない
ここにメイン回路の圧を直結したらどうなるか。
当然、壊れる。
個人は本来、パイロット圧側の存在だ。
感度が高い
判断が早い
文脈を扱える
それなのに、
マス市場の圧
広告
数
速度
を直に流し込めば、破綻する。
個人はマス市場を否定する必要はない
重要なのはここだ。
マス市場が悪いわけではない。
大企業がマスを引き受けるのも自然なことだ。
ただし、個人は、マスと同じ流動を合わせてはいけない
個人は個人の圧で
マスはマスの圧で
回路を分ける必要がある。
結論:役割を間違えないこと
マス市場は、
赤字になり得る市場
資本耐久戦の市場
構造を引き受けるための市場
個人がそこに流入すると、創造性を発揮する前に消耗する。
個人が向かうべきなのは、
流量が合う場所
圧が適正な場所
文脈が共有される場所
いわばプライベートビーチだ。
目立たなくていい。
広くなくていい。
でも壊れない。
個人は個人、
マスはマス。
役割を混ぜないこと。
それが、長く生き残るための最低条件だと思う。
