フックはプロパガンダと同じ構造を持っている

最近よく言われる「フックを作れ」という話にずっと違和感がある。

結論から言うと、フックは作るものではない。
発生するものだ。

にも関わらず、今は「フックを設計しろ」「最初に引っかけろ」という形で、
意図的に人の注意や感情を操作する技術として扱われている。

ここに大きなズレがある。

本来のフックは、副産物だ。

内容に違和感があるから引っかかる。
構造に発見があるから止まる。

つまり、

内容 → フック

の順で生まれる。

しかし現在は逆転している。

フック → 内容

最初に「どう引っかけるか」を設計し、その後に中身を合わせる。

これはもう注意の誘導であり、操作だ。

ここで重要なのは、
「それが良いか悪いか」ではない。

構造の話だ。

フックを作るという行為は、

・注意を奪う
・感情を動かす
・判断を短絡させる

という性質を持つ。

これはそのまま、プロパガンダが使う基本構造と一致する。

もちろん、全てが同じ強度ではない。

だが、

「意図的に注意を操作する」

という点において、方向性は同一だ。

問題はここからだ。

この構造が一般化すると何が起きるか。

・表現が均質化する
・思考が浅くなる
・誤解が増える
・期待と現実がズレる

結果として、

不信・炎上・分断

が増える。

そして厄介なのは、これが誰かの悪意で起きているわけではないことだ。

プラットフォームの構造
ユーザーの適応
AIの最適化

すべてが重なって、「フックを使わないと届かない」という環境が出来上がっている。

つまりこれは、意図的ではないプロパガンダ的構造だ。

だからと言って、「フックをやめろ」と言っても止まらない。

なぜなら、止める主体が存在しないからだ。

ここで一つだけ線を引いておきたい。

フックそのものが問題なのではない。

フックを「作る」ことが問題だ。

フックは本来、現れるものだ。

内容の結果として滲むものだ。

それを設計し、誘導し、操作する時点で、それはもうフックではなく、注意のコントロールになる。

そしてその構造は、プロパガンダと地続きにある。

だからこそ、「フックを作れ」という言葉には
強い違和感がある。

これは単なるテクニックではなく、構造の問題だ。

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