「一流」は高尚なのか?
──一流=本流だとしたら、一番つまらないものになる
世の中では「一流」という言葉が、
高尚で、素晴らしくて、到達すべき価値のように使われている。
一流大学。
一流企業。
一流の考え方。
でも、ふと立ち止まって考えると、
この「一流」という言葉、少し変だ。
一流を、言葉として分解してみる
「一流」というのは、本来は序列の言葉だ。
優劣ではなく、流れの話。
河川で言えば、
一流=本流
二流・三流=支流
という意味に近い。
ここに「高尚」や「素晴らしい」という意味は含まれていない。
あるのはただ、一番多くの水が流れている、中心の流れという事実だけだ。
本流の性質
本流には、はっきりした特徴がある。
大多数が理解できる
基準が明確に整備されている
例外や揺らぎが少ない
誰が扱っても事故が起きにくい
再利用しやすい
つまり、本流とは安全で、普遍的で、安定した体系だ。
これは教育にも、制度にも、マニュアルにも向いている。
その代わり、
曖昧さ
個別性
解釈の余地
未定義の問い
といったものは、必ず削られる。
なぜ「一番つまらなく」なるのか
面白さや価値が生まれる場所は、たいてい
揺らいでいる
定義されていない
正解が分からない
人によって評価が割れる
そういう場所だ。
しかし本流になるためには、それらはすべて「ノイズ」として除去される。
結果として本流には、誰も否定しない代わりに、誰も驚かないものだけが残る。
つまり、一流=本流だと考えるなら、一流とは一番安全で、一番普遍的で、一番面白みのない体系になる。
それでも一流が崇拝される理由
それでも現代では、
一流であること
本流に乗っていること
が、価値として強く信仰されている。
理由は単純だ。
安心できる
説明しやすい
比較しやすい
「みんながそう言っている」と言える
つまり、一流は高尚だから選ばれているのではない。
安全だから選ばれている。
価値はどこで生まれるのか
価値や面白さが生まれるのは、
源流
支流
まだ名前のついていない場所
であることがほとんどだ。
しかしそこは、
理解されにくい
評価されにくい
危険に見える
説明できない
だから「一流」にはならない。
本流に流れ着いた時点で、それはもう消費可能な形に整えられた後なのだ。
結論
「一流=高尚」という感覚は、かなり現代的な錯覚だと思う。
一流を本流=多くの人が共有できる流れとして捉え直すなら、
一流は価値の源泉ではない
一流は結果として整備された場所
一流は安全で、普遍的で、退屈
という姿が見えてくる。
本当に面白いものは、たいてい一流になる前か、あるいは最後まで一流にならない。
一流を目指すこと自体が悪いわけではない。
ただ、一流=最も価値があるという思い込みは、思考をかなり狭くする。
どの流れにいるかより、どこから水が湧いているかを見たほうが、ずっと面白いのだと思う。
