必要悪という思考停止
気づいたら、同じ話を何度もさせられていた。
理由は単純だ。
「必要悪」という言葉が、議論をループさせるからだ。
必要悪は答えではない
よくある結論はこうだ。
必要悪は必要なものだ
一見それっぽいが、よく見ると何も言っていない。
なぜ必要なのか
誰にとって必要なのか
いつまで必要なのか
全部が抜け落ちている。
これは説明ではなく、ラベルだ。
ラベルは思考を止める
「必要悪」と言った瞬間に起きることはシンプルだ。
問題の中身を見なくなる
構造の検証をやめる
責任の所在が消える
つまり
理由の代わりに言葉を置いている
独占という例
独占も同じ構造で語られる。
独占は必要悪だ
インセンティブのために必要だ
だがこれは、
独占を維持したい理由を「必要」で包んでいるだけ
とも言える。
本来見るべきは
なぜ独占が成立する構造になったのか
どこで歪みが生まれているのか
のはずだ。
構造 → 欲望 → 歪み → 必要悪
流れはシンプルだ。
構造が作られる
欲望が乗る
歪みが発生する
「必要悪」で正当化される
必要悪は原因でも解決でもない。
ただの後付けのラベルだ。
コピーの話に戻る
もしオリジナルの「起点」が認識されるなら、
コピー自体は問題ではないという立場も成立する。
それでも独占が必要とされるのは、
回収のための仕組みを維持したいから
であって、
創造そのもののためではない
可能性がある。
結論
必要悪とは、問題を解決する言葉ではない
問題から目を逸らすための言葉である
そして
「必要悪は必要なものだ」という言葉は、
思考停止の完成形である
議論が終わらない理由は、難しいからではない。
言葉で終わらせているからだ。
