なぜ「界隈」という言葉が生まれるのか

SNSを見ていると、やたらと「界隈」という言葉を目にする。

AI界隈。
小説界隈。
音楽界隈。
格ゲー界隈。
創作界隈。

少し前までは「コミュニティ」「業界」「ファン層」といった言葉が使われていたのに、最近はなぜか「界隈」という言い方が増えた。

この言葉は面白い。
なぜなら「界隈」は、組織でも団体でもないからだ。

会社でもない。
サークルでもない。
ルールがあるわけでもない。

なのに、なぜか人は「界隈」というものを作り、そこに属している感覚を持つ。

では、なぜ「界隈」という言葉が生まれるのだろうか。


界隈とは何か

まず、界隈は組織ではない。

誰かが作った団体でもなければ、会員制度があるわけでもない。
入会手続きもなければ、退会手続きもない。

それでも界隈は成立する。

その理由は単純で、界隈とは共通の話題を持つ人の集合だからだ。

あるゲームを遊ぶ人たち。
あるジャンルの音楽を聴く人たち。
ある創作をしている人たち。

それぞれがゆるく繋がることで、いつの間にか一つの「文化圏」ができる。

この曖昧な文化圏を、日本語では「界隈」と呼ぶ。

なぜ人は界隈を作るのか

SNSは本来、個人が直接発信できる仕組みだ。

個人が作品を出し、
個人が意見を言い、
個人が活動できる。

本来なら

個人 → 世界

という構造で成立する。

しかし実際には、多くの人がこの形を取らない。

多くの人は

個人 → 界隈 → 発信

という構造を作る。

なぜか。

理由は単純で、人は「個人」でいることに不安を感じるからだ。

どこにも属さず発信するよりも、「自分は○○界隈の人です」と言える方が安心できる。

界隈は、所属の言葉なのである。

界隈は安心装置

界隈ができると、そこにはいくつかの要素が生まれる。

共通の話題
共通の価値観
共通の評価基準

つまり、小さな社会ができる。

この小さな社会はとても便利だ。

作品を出せば誰かが反応してくれる。
同じ言葉が通じる。
文化が共有される。

だから界隈は居心地がいい。

言い換えると、界隈は安心装置でもある。

しかし界隈には副作用がある

界隈は時間が経つと、必ず文化が固定されていく。

最初は自由だったはずなのに、いつの間にか

この作風がいい
この考え方が正しい
これはこの界隈らしくない

という空気が生まれる。

つまり、小さな秩序ができる。

そして秩序ができると、次の現象が起きる。

新規が入りにくくなる。

文化は守られるが、同時に固定される。

これはほぼすべての界隈で起きる現象だ。

なぜ「新規に優しくしよう」という話が出るのか

界隈が縮小すると、必ず同じ議論が始まる。

新規に優しくしよう。
排除をやめよう。
界隈を広げよう。

一見すると文化を広げる話のように見える。

しかし実際には、これはコミュニティ維持の話であることが多い。

文化を広げたいのではなく、界隈を維持したい。

だから新規を呼び込もうとする。

界隈がなくても文化は残る

歴史を見ると、多くのコミュニティは消えている。

文芸サークル。
同人グループ。
ネット掲示板。
オンラインゲームのギルド。

どれも長くは続かない。

しかし文化は残る。

小説は残る。
音楽は残る。
創作は残る。

つまり文化とコミュニティは同じものではない。

コミュニティは文化の器の一つにすぎない。

「界隈」という言葉の正体

結局、「界隈」という言葉は文化を表しているわけではない。

それは人の居場所を表す言葉なのだと思う。

作品のためでもなく、
文化のためでもなく、

「自分がどこにいるのか」を示すための言葉。

界隈は消える

文化が続くとき、界隈は必ず入れ替わる。

古い界隈は消え、新しい界隈が生まれる。

つまり界隈は文化の本体ではない。

ただの一時的な器なのだと思う。

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