築室道謀と民主主義
「船頭多くして船山に上る」
ということわざは今でもよく使われる。
しかし、似た意味を持つ四字熟語である「築室道謀」はあまり語られない。
築室道謀とは、家を建てようとして道行く人々に相談しているうちに、それぞれ異なる意見が出て、いつまでも家が建たないという故事である。
現代人はこれを聞くと、
「意見を聞きすぎるな」
という教訓だと思うかもしれない。
だが本質はそこではない。
問題は意見の数ではなく、意思決定者の不在にある。
民主主義は民意を重視する。
企業は顧客の声を聞く。
SNSでは世論が可視化される。
多くの人は、それこそが正しい社会だと考えている。
しかし、ここで奇妙なことが起こる。
意見を集めることと、意見によって決定することが混同されるのである。
本来、意見は判断材料である。
判断そのものではない。
ところが現代では、
「みんながそう言っている」
という事実が、そのまま判断理由になってしまう。
築室道謀はまさにこの構造を描いている。
建築家に聞けば建築家の理屈がある。
大工に聞けば大工の理屈がある。
商人に聞けば商人の理屈がある。
誰も間違ってはいない。
しかし、その全員を満足させようとすると家は建たない。
船頭多くして船山に上るも同じである。
船頭は全員無能なのではない。
むしろ全員が有能で、全員が責任感を持っている。
だからこそ方向が定まらない。
現代社会はしばしば衆愚政治と呼ばれる。
しかし私はこの表現に少し違和感がある。
衆愚政治という言葉は、
「民衆が愚かだから問題が起きる」
という印象を与える。
だが築室道謀や船頭多くして船山に上るが示しているのは、人の愚かさではない。
構造の問題である。
全員が善意であっても。
全員が有能であっても。
全員が誠実であっても。
意思決定の軸が存在しなければ物事は前へ進まない。
民主主義の問題は民意ではない。
民意を集めることでもない。
民意を集めることを意思決定そのものと勘違いすることにある。
意見は集めればよい。
だが最後は誰かが決めなければならない。
決める者がいなくなった時、
民主主義は築室道謀となる。
そして社会は、家を建てることも、船を進めることもできなくなるのである。
