政教分離とは思想分離ではない

現代社会では「政教分離」という言葉が当然のように使われる。
しかし、この言葉を聞くたびに違和感がある。
なぜなら、多くの人は無意識のうちに、
「政治」と「思想」を分離する話だと思っているからだ。
だが本当にそうだろうか。


政治もまた思想である

まず前提として理解しなければならないのは、
政治も宗教も思想であるということだ。
宗教には世界観がある。
善悪の基準がある。
人はどう生きるべきかという価値観がある。

では政治はどうだろう。
民主主義、自由主義、社会主義、保守主義、国家主義。
どれもまた世界観であり価値観であり思想である。
政治だけが思想ではないという考え方には無理がある。
政治とは価値観の調整装置であり、思想抜きでは成立しない。

つまり、
政治 = 思想A
宗教 = 思想B
であって、
政治 = 現実
宗教 = 思想
ではないのである。

現代は政治思想が優位なだけ

現代社会では宗教思想は「思想」として認識される。
しかし政治思想は「常識」として扱われる。
例えば、
「神が人を導く」
と言えば宗教的だと言われる。

しかし、
「民主主義は正しい」
「経済成長は必要だ」
「労働参加は望ましい」
という価値観は思想としてではなく、当たり前の前提として扱われることが多い。

だがそれもまた思想である。
単に現代社会において政治思想が優位に立ち、思想であることを忘れられているだけなのだ。

宗教思想が消えたのではない。
政治思想が支配的になったので見えなくなっただけである。

政教分離は政治側の都合でもある

政教分離はしばしば自由の象徴として語られる。
確かに歴史的には国家権力と宗教権力の癒着を防ぐ意味があった。

しかし別の見方をすれば、
国家以外の権威を弱めるための仕組みでもある。
国家から見れば、
教会も寺院も宗教団体も、
国家とは異なる価値観を持つ独立勢力だ。

政教分離は宗教を守る制度であると同時に、
国家が権威を一元化する制度でもあった。
だからこそ、
「政教分離だから思想を持ち込むな」
という主張には違和感がある。

政治そのものが思想の上に成り立っている以上、
思想を排除した政治など存在しないからだ。

分離されるべきは思想ではない

問題は思想が存在することではない。
問題は思想が独占されることである。
宗教思想であれ、
政治思想であれ、
経済思想であれ、
それが唯一絶対の真理として国家権力と結合したとき危険になる。

本来の政教分離が目指したのもそこだったはずだ。
だから分離されるべきは思想そのものではない。
思想による権力独占である。

結論

政教分離とは思想分離ではない。
政治も宗教も思想である。
現代社会では政治思想が優位に立っているため、それが思想であることを忘れられているだけだ。
そして政教分離を理由に思想そのものを排除しようとするなら、それは本来の趣旨から外れている。

分離されるべきは思想ではない。
思想の独占である。
政教分離とは、思想をなくすための制度ではなく、思想が唯一絶対の権威になることを防ぐための制度なのである。

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