売れるものは流行らない
この言葉、我ながらかなり皮肉が効いていると思った。
普通に考えれば、流行るものは売れる。
これは誰もが疑わない順序だ。
でも今の市場を見ていると、むしろ逆のことが起きているように見える。
売るために作られたものほど、流行そのものにはなりにくい。
ここで言いたいのは、売れることが悪いという話ではない。
問題は、最初から「売れる形」に最適化されすぎると、その作品はすでに過去の流行をなぞったものになりやすいということだ。
売れ線とは、言ってしまえば“昨日まで売れたものの再現”である。
つまり市場は、安全に回収できる既視感を求める。
見たことのある構図。
聞いたことのあるコード進行。
読みやすく、炎上しにくく、話題化しやすいテーマ。
それらは確かに売れる。
だが、それは本当に流行なのだろうか。
本来、流行とは市場が作るものではなく、市場が後から名前をつけるものだと思う。
最初は「なんだこれ」と思われる。
既存の枠組みに収まらない。
売れるかどうかもわからない。
それでも、なぜか人に刺さる。
その熱が広がった結果として、後から「流行」と呼ばれる。
つまり流行は、設計された商品ではなく、偶発的に立ち上がる現象だ。
だからこそ、売れ線ばかりを追い続ける市場では、本当の流行は生まれにくい。
常に市場が売っているのは、未来ではなく過去だからだ。
昨日流行ったものを今日売る。
その繰り返しの先にあるのは、安定した売上かもしれない。
しかしそこには、時代を切り裂くような作品は生まれにくい。
今回の文学賞で受賞作なしという結果を見て、ふと思った。
作品がないのではない。
市場が“売れるもの”に寄りすぎた結果、流行そのものを生み出す熱量が薄れているのではないか。
売れるものは売れる。
でも本当に流行るものは、最初から売れ線ではない。
だからこそ私はこう言いたくなる。
売れるものは流行らない。
これは市場への否定ではない。
市場が過去を売り続けるほど、未来は別の場所から立ち上がる、という皮肉である。
