没頭することは依存症の要因ではない

最近ずっと思っている。

世の中って、何かに深く没頭している人を見ると、すぐに「依存症」と言いたがる。

ゲーム依存。
SNS依存。
AI依存。
創作依存。

でも、それって本当に「時間」の問題なんだろうか。

私はむしろ逆で、

依存を決めるのは「量」ではなく、
「関わり方」なんじゃないかと思っている。

例えば、同じように長時間やっていても、

  • 自分で選んでいる

  • 自分で止められる

  • 自分で遊び方を作っている

なら、それは創造に近い。

逆に、

  • 不安で開く

  • 反応が気になる

  • 止めたいのに止められない

  • 空虚を埋めるためだけに触る

こうなると、量が少なくても依存っぽくなる。

つまり問題は、

「どれだけやったか」ではなく、

「誰が主導権を持っているか」

なんだと思う。

ここで面白いのが、“フリーク”という存在。

フリークって、外から見ると依存症に見える。

異常に掘る。
時間をかける。
周囲が理解できないほど没頭する。

でも、依存と決定的に違うところがある。

フリークは、新しく生み出す。

好きだから解体する。
好きだから混ぜる。
好きだから変形させる。

元ネタをそのまま反復するだけでは終わらない。

Undertaleなんか分かりやすい。

MOTHERフリークではあると思う。

でも、ただのコピーではない。

RPG構造そのものを解体して、
別の形に変異させている。

依存は、同じ快楽へ戻ろうとする。

フリークは、対象を素材化して新しいものを作ろうとする。

だから私は、

没頭すること自体は、依存症の要因ではないと思っている。

没頭は、創造にも繋がる。

問題は、その関わり方。

主体性を失えば依存になる。

主体性を持ったまま潜れば、
それはフリークになる。

量だけ見て「依存」と言ってしまうと、

人が何かを深く愛して変異していく過程まで、
全部同じに見えてしまう。

それは少し勿体ない気がしている。

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