安分守己とは「責任と報酬の均衡」である
四字熟語の「安分守己」。
一般には、
身の程をわきまえて生きること。
高望みをしないこと。
と説明される。
しかし、この言葉を眺めていると少し違う解釈もできるように思う。
「分」とは何か
安分守己の「分」は、単なる能力や身分ではない。
古くは、
役割
責任
権限
立場
まで含んだ概念だった。
つまり「分を守る」とは、
自分の責任範囲と役割を理解することでもある。
高望みとは何か
責任を負わずに報酬だけを求める。
これは確かに高望みだろう。
社長の報酬は欲しい。
しかし経営責任は負いたくない。
これは均衡が崩れている。
だが逆方向も考えたい。
責任だけを押し付けるのは高望みではないのか
部長の責任を負わせる。
部下の管理もさせる。
失敗したら責任を取らせる。
しかし報酬は増やさない。
これは何だろう。
従業員側が身の程をわきまえていないのか。
それとも、
責任以上の成果を求めながら対価を払わない側が、自らの身の程をわきまえていないのか。
私は後者にも同じ問いを向けるべきだと思う。
搾取と高望みは鏡写し
責任を負わず報酬だけ求める。
これは高望み。
責任だけ負わせて報酬を与えない。
これは搾取。
方向は違うが、どちらも同じ問題を抱えている。
それは、
責任・権限・報酬の均衡が崩れていることだ。
私なりの安分守己
私ならこう定義する。
安分守己とは、責任の所在を明らかにし、その責任を請け負うことを前提として、それに見合った役割・権限・報酬を得ることである。
だから安分守己は、
「我慢しろ」
という言葉ではない。
責任を負う者は、それに見合う権限と報酬を得る。
権限と報酬を求める者は、それに見合う責任を負う。
その均衡を保つこと。
それこそが、本来の意味での「分を守る」ということなのではないだろうか。
