動かない人を非難するなら
世の中にはよく、
「なぜ動かなかったんだ」
という批判がある。
災害でも、政治でも、経済でも、人間関係でもそうだ。
問題が起きた後になって、
「分かっていたはずだ」
「対処できたはずだ」
と言われる。
しかし私は少し違う見方をしている。
人は思った以上に短期視点で生きている。
それは善人か悪人かという話ではない。
単純に、
今の損失と将来の損失を比較した時、
多くの人は今の損失を避ける。
それだけの話である。
例えば、
「このまま放置したら後で大きな問題になる」
と言われても、
その問題が一年後なのか十年後なのか分からない。
一方で行動するコストは今発生する。
ならば静観を選ぶ人が多いのは自然なことである。
だから私は、
動かない人を責めることにあまり意味を感じない。
むしろ本当に重要なのは、
人が動かないことを前提に考えることだと思う。
避難しない人がいる。
備えない人がいる。
先送りする人がいる。
楽な方へ流れる人がいる。
それらは異常ではなく、むしろ普通である。
ならば制度も予測も、
それを前提に組み立てるべきだろう。
そして、
それでも危険だと思うなら、
やるべきことは非難ではない。
予測を書き残すことである。
このままならこうなる。
なぜそうなるのか。
どのような因果でそうなるのか。
それを書き残しておく。
結果として誰も動かなかったとしても構わない。
その判断もまた本人の選択だからだ。
そして未来が訪れた時、
その記録は責任追及の材料ではなく、
予測モデルの検証になる。
私は最近、
人を説得することよりも、
記録を残すことの方が大切なのではないかと思うようになった。
価値観は変えられない。
時間軸も変えられない。
しかし記録は残る。
だから、
動かない人を非難するくらいなら、
動かなかった場合に何が起きるかを書き残しておけばいい。
その後は各自が選べばいい。
未来は説得によってではなく、
結果によって確認されるのだから。
