常識は増える一方、当たり前が消えている
最近ふと思った。
世の中って、常識はどんどん増えているのに、
なぜか「当たり前」は減っている。
一見すると矛盾しているように見える。
でも、少し考えると、むしろ今の時代をかなり正確に表している気がする。
昔より情報は圧倒的に多い。
SNSを開けば、
働き方の常識、
メンタルケアの常識、
マーケティングの常識、
創作論の常識、
人間関係の常識。
あらゆる「こうあるべき」が流れてくる。
むしろ常識は溢れかえっている。
けれど、だからこそ、共有される“当たり前”は消えている。
たとえば同じ40代でも、
同じ時代を生きてきたはずなのに、
前提が全く共有されていないことがある。
昔は当たり前に語られていたことが、
いつの間にか忘れられている。
あるいは別の価値観に上書きされている。
「動けない時は動けない」
「状態と人格は別」
「休むことは敗北ではない」
こうした感覚は、一時期かなり共有されていたはずなのに、
いま改めて言葉にすると
意外と新鮮に受け取られる。
若い世代ならなおさらだ。
でも、同世代ですら忘れている人は少なくない。
たぶん、常識が増えすぎた結果、
人は共通の土台ではなく、
それぞれの小さな世界の中で
別々の常識を持つようになった。
アルゴリズムが見せる世界も違えば、
所属するコミュニティも違う。
結果として、
常識は増えるのに、
共有された当たり前は減っていく。
情報が増えるほど、
共通理解はむしろ薄くなる。
これは少し皮肉だ。
けれど、だからこそ
「そんなの当たり前だろ」
と思うことをあえて言葉にして置いておく意味がある。
新しい理論でなくてもいい。
忘れられた当たり前を、
もう一度共有可能な言葉に戻す。
いま必要なのは、
新しい常識を増やすことより、
消えた当たり前を思い出すことなのかもしれない。
