人手不足という言葉に隠れた「表」と「裏」

最近どこでも「人手不足」という言葉を聞く。
業界を問わず、企業規模を問わず、とにかく足りないらしい。

そしてセットでよく聞くのが、「仕事ができる人が足りない」という言葉だ。

でも、ここで一度立ち止まりたい。
その「人手」って、そもそも何を指しているんだろう?


「仕事ができる人」とは誰のことか

多くの場合、ここで言われている
「仕事ができる人」とは、

  • 今ある業務を

  • 今あるフローの中で

  • 速く、正確に、文句を言わず

  • 最適化して回せる人

のことを指していないだろうか。

つまりこれは既存業務の最適実行者であって、業務そのものを疑ったり、組み替えたりする人ではない。

でもそれ、人手の定義としておかしくないか?

裁量も決定権も持たせず、業務は分業され、細分化され、「考えなくていい設計」が進んだ世界で、仕事ができる人を求めるというのは、かなり無理がある。

なぜなら考えない前提で設計された仕事に、考えられる人を当てはめようとしているからだ。

「仕事ができる」を規格化した瞬間に起きること

もし、人手 = 今ある業務を最適にこなせる人と定義してしまったら、どうなるか。

  • その規格に合う人材を

  • ひたすら探し続け

  • 消耗したら交換し

  • また同じ規格の歯車を探す

というループに入る。

これは人手不足ではなく、規格依存型の自転車操業だ。

裏側で本当に不足している人材

一方で、表では語られないが、裏側で本当に不足している人材は別だと思っている。

それは、

  • ギヤ比を調整できる人

  • ギヤの数そのものを減らす提案ができる人

  • フロー全体を見て「この工程いらなくない?」と言える人

  • 業務量ではなく構造を減らせる人

だ。

でも、こういう人はたいてい
「空気が読めない」
「現場を混乱させる」
「今はそれどころじゃない」
と言われて弾かれる。

人が足りないのではなく、止められないだけ

結局のところ、

  • 止めて考える余裕がない

  • 構造を見直す覚悟がない

  • 決定権を分散させる勇気がない

その結果として「人手不足」という言葉が使われているだけではないか。

足りないのは人数ではなく、設計を変える選択肢だ。

まとめ

  • 表向きに求められているのは
     既存フローを回し続ける潤滑剤

  • 本当に必要なのは
     フローそのものを軽くする人

  • でも後者は、今の構造を否定するから排除される

だから「人手不足」は解消されない。

これは労働力の問題ではなく、設計思想の問題だから。

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