ライブ文化とTikTok的アルゴリズムチャート文化は、本質的に同じ土俵にいる
最近よく思う。
ライブ文化を、TikTok的なアルゴリズムチャート文化への対抗軸として語る人がいる。
「数字ではない」
「生の体験こそ本物」
「現場の熱気が音楽の本質」
そういう言説だ。
けれど、よく考えると本当に対抗軸になっているのだろうか。
私はむしろ、この二つは本質的にかなり近い土俵にいるように見える。
TikTok的チャート文化が重視するのは、瞬間の熱量だ。
初速の再生数。
バズ。
同時に反応する人数。
その瞬間にどれだけ空気を動かせるか。
一方でライブ文化もまた、その場の熱量を価値にしている。
会場の一体感。
同じタイミングで手を上げること。
同じビートで身体が揺れること。
媒体が違うだけで、やっていることはかなり近い。
片方はデジタル空間で同期し、もう片方は物理空間で同期している。
つまりどちらも「瞬間の共有熱量」で勝負している。
この意味で、ライブ文化はアルゴリズム文化の対抗軸ではなく、同型の別フィールドにすぎないのではないか。
ここでユニークさを出そうとしても、結局は同じ評価軸の中で競合しているだけだ。
熱量を数で測るか、空気で測るかの違いしかない。
そして同じ土俵にいる以上、最終的にはより可視化されやすく、より拡散しやすい側に統合されていく。
つまりアルゴリズムに飲み込まれる。
本当に別の価値軸を作るなら、瞬間の共有熱量ではなく、時間を越えて残るものを作らなければならない。
何度も戻ってくる歌詞。
一人の心を埋める音楽。
数では測れない沈殿。
そこにこそ、ライブ文化ともチャート文化とも違う第三の軸があるのではないかと思う。
