現代は深刻な「感情格差」の時代かもしれない
昔って、貧しくても地域があったよね。
「清貧」みたいな言葉もあったし、
近所付き合いもあったし、
祭りもあった。
もちろん昔が良かったなんて言う気はない。
村社会は息苦しいし、
逃げ場も少ない。
でも——
今って少し違う気がする。
経済的に豊かでも、
なんだか感情が痩せ細ってる。
これ、結構深刻じゃない?
感情格差という仮説
最近思うんだけど、現代って「経済格差」以上に、感情格差が広がってる気がする。
ただこれ、金持ち・貧乏の話ではない。
年収が高くても、感情が痩せてる人はいる。
逆に、お金がそこまでなくても、感情が豊かな人もいる。
問題は、感情を味わう余裕があるか
なんじゃないかと思う。
エナドリ社会
今の社会って、なんだかずっとエナドリ飲んでる感じがする。
効率。
成果。
KPI。
可視化。
比較。
通知。
ずっと「動け」「成果出せ」「置いていかれるぞ」。
その結果、人間が「感じる」より、「処理する」側に寄ってる気がする。
長い文章しんどい。
重いテーマしんどい。
複雑なしんどい。
代わりに、
短く、
強く、
わかりやすく、
すぐ効くもの。
まるで感情の点滴だ。
点滴だけで人は生きられるのか
もちろん点滴は必要だ。
疲れてる時、
病気の時、
しんどい時。
でも、点滴だけで生き続けたいか?
と言われたら、
多分違う。
本来、人間って
固形物を噛んで、
消化して、
時間をかけて吸収する。
感情もそうじゃないか?
すぐ笑える。
すぐ怒れる。
すぐ泣ける。
それだけで、感情って本当に豊かなんだろうか。
余韻とか、
哀愁とか、
説明できないモヤモヤとか。
そういう「咀嚼」が減ってる気がする。
貧困層まで感情を削る必要ある?
ここが一番思うところ。
金持ちで、
感情削って、
成果で回してる人はいる。
KPI社会で生きてる人は、ある意味それが交換条件なんだろう。
でも、
なんで貧困層まで感情削らないといけないの?
って思う。
金が苦しい。
時間がない。
将来不安。
それなのに、
趣味削れ
感情削れ
効率化しろ
生産性上げろ
ってなると、もう最後に残る余白すら消える。
それ、二重貧困じゃない?
せめて感情は豊かであれ
経済格差はすぐ変わらない。
社会もすぐ変わらない。
でも、せめて感情まで痩せ細る必要はないと思う。
音楽でも、
祭りでも、
趣味でも、
笑いでも、
変な話でもいい。
エナドリだけじゃなく、たまには薬膳みたいな感情も必要だ。
効率悪くてもいい。
少し遠回りでもいい。
人間って、本来そういう余白で生きてた気がする。
