細分化は複雑化も単純化もする
細分化という言葉は、細かく分けることだと思われている。
でもそれは半分しか合っていない。
細分化には2種類ある。
一つは、複雑化する細分化。
要素を増やす。
事象を並べる。
「これも関係ありそう」「あれも関係ありそう」と広げていく。
その結果どうなるか。
問題は見えるようになる。
でも、それだけだ。
「こういう事象もある」
「要因かもしれない」
そうやって並べているだけで、
因果は分かっていない。
つまりこれは理解ではない。
知っただけだ。
因果が分かっているなら、動かせる。
動かせないなら、それは理解ではない。
複雑化の細分化は、
問題を炙り出すだけで、解決は生まない。
もう一つは、単純化する細分化。
余計なものを削る。
確定していないものを入れない。
残るのは、動かせる構造だけ。
例えば、
構造 → 力 → 崩壊
ここまで削ると、迷わない。
どこが原因で、どこが変わるかが分かる。
ここでよく言われる。
「それも関係あるだろ」
「抜けている」
でもそれは成立していない。
同じ要因であると分かっていないものを、同じ軸に入れることはできない。
それを省くと、こう言われる。
「単純化しすぎ」
違う。
省いているのではない。
未確定なものを入れていないだけだ。
まとめる。
細分化は、増やすためのものではない。
削って動かすためのものだ。
■ 締め一行
知識を増やしても動けない。
動けるのは、削ったときだけだ。
