AKBは芸能界を壊したのか、それとも幻想を壊したのか
最近よく見かける言説がある。
「AKB商法が日本の芸能界をダメにした」というものだ。
握手、投票、課金。
実力より数字。
会いに行ける安売り。
言いたいことは分かる。
ただ、この言説を見かけるたびに、少し引っかかる。
本当に「壊した」のは芸能界そのものだったのだろうか。
芸能は、そもそも清い文化だったのか
まず前提を一度戻したい。
日本の芸能は、歴史を辿ると遊郭、色町、興行、芝居と地続きの文化圏にある。
それは否定でも断罪でもない。
事実として、芸能は元々
関係性の演出
距離感の管理
感情労働
贔屓・指名・後援
と深く結びついて発展してきた。
これは日本に限らない。
欧米でも、娼婦文化、キャバレー、酒場、バーレスクが音楽やショービジネスの源流になっている。
芸能とは元来、「清くて遠いもの」ではなく、欲望と幻想と管理が混ざり合った文化だった。
AKB商法は「新しい搾取」だったのか
AKB商法は確かに露骨だ。
人気が数字で見える
応援が課金に直結する
距離感が設計されている
ただ、これは新しく生まれた構造だろうか。
むしろ、
ずっと裏側で行われていたことが表に出ただけと見る方が自然に思える。
AKB以前の芸能界では、
誰が人気を作っているのか
どこに金が流れているのか
どうやってスターが選ばれるのか
が、ほとんど見えなかった。
テレビとマスコミが「遠くて清いスター」という物語を作り、その裏側は幻想で覆われていた。
AKB商法は、その幻想を維持しなかった。
設計図を隠さなかった。
壊れたのは芸能か、それとも幻想か
「芸能界が壊れた」と感じる人が多いのは、実はかなり自然だと思う。
それは、
芸能が堕落したから
ではなく、信じられる余地が減ったから
だ。
人気が「投票と課金の結果」として見えてしまうと、夢は成立しにくくなる。
でもそれは、芸能が汚れたからではなく、汚れを隠す装置が壊れただけではないか。
アイドル文化は「搾取の代替」ではない
よく「アイドル文化が搾取構造に取って代わった」と言われる。
ただ、これも少し因果が逆だと思う。
正確には、同じ文化圏の中で、形と合法性が置き換わっただけだ。
遊郭 → 芸妓 → 興行 → 芸能 → アイドル → 配信
これは別々の文化ではなく、一本の連続体。
搾取が消えたわけでも、新しく生まれたわけでもない。
見え方が変わっただけだ。
「憧れ」の語られ方が歪んだ瞬間
個人的に違和感を覚えるのは、AV女優や過酷な芸能職が文脈抜きで「憧れの職業」と語られ始めた頃だ。
存在を否定したいわけではない。
選択の自由もある。
ただ、
代償
消耗
逃げ道の狭さ
を語らずに、成功や自己実現だけを切り出すのは、あまり誠実ではない。
これは進歩というより、前提の切り落としに近い。
結論
AKBは芸能界を壊したのか。
おそらく違う。
壊したのは、マスコミが長年かけて作ってきた「芸能は遠くて清いもの」という幻想の方だ。
それは残酷でもあり、同時に正直でもある。
芸能は元々、美しさと危うさが同居する文化だった。
その前提を忘れたまま「昔は良かった」「AKBが壊した」と語るのは、少し話を単純化しすぎている気がする。
最近、そんなことを考えている。
