支えられているはずなのに、その実感がない
最近少し気づいたことがある。
「支援」という言葉に違和感がある理由は、
もしかしたら別のところにあるのかもしれない。
今の状態って、たぶん「享受」に近い。
書く側は書く。
読む側は読む。
それぞれがそれぞれのものを受け取っているだけで、
そこに明確な関係性はない。
それでも、構造としては成立している。
読む人がいるから、書く意味が残る。
書く人がいるから、読むものがある。
本来は、相互に依存しているはずの関係。
でも、その実感がどこにもない。
読む側は、支えられているとは思っていない。
ただ流れてきたものを見て、
少しだけ時間を使って、
また次へ行くだけ。
そこに「支えられている」という感覚はない。
書く側も同じで、支えられている実感はない。
数字はあるけど、
誰に支えられているのかはわからない。
関係として認識できるものがない。
結果として、こうなる。
支え合っているはずなのに、
誰も支え合っていると感じていない。
だから「支援」という言葉だけが浮く。
本来あるはずの実感が伴っていないから、
言葉だけが少し大げさに見える。
別に否定したいわけではない。
ただ、少しだけズレている気がする。
たぶん今の状態は、
支援でもなく、無関係でもなく、
ただの流れに近い。
触れて、受け取って、離れていく。
それが続いているだけなのかもしれない。
