手を動かすことが創造性と短絡する危うさ
1 「手を動かす=創作」という誤解
最近よく見る議論がある。
AIを使うか使わないかは「創作のどこが楽しいか」で決まる、という話だ。
例えばこういう主張だ。
書く過程が楽しい人はAIを使わない
結果が楽しい人はAIを使う
一見もっともらしいが、ここには一つ大きな短絡がある。
それは手を動かすこと = 創作の過程という前提だ。
しかし本当にそうだろうか。
2 思考と作業は同じではない
創作には少なくとも二つの層がある。
① 思考のプロセス
構造を考える
仮説を立てる
関係性を組み立てる
② 出力のプロセス
書く
描く
打ち込む
多くの議論ではこの二つが混同される。
しかし実際には
思考 ≠ 手作業
である。
3 思考は見えない
思考は静かなプロセスだ。
頭の中で構造が組み立つ
概念が接続される
仮説が整理される
これは外からは見えない。
そのため出力されたものだけが「創作の過程」に見える。
しかしそれは思考のログに過ぎない。
4 書くことでしか考えられない人もいる
もちろん例外もある。
人には大きく二つのタイプがいる。
思考先行型
思考
↓
出力
出力思考型
書く
↓
思考
後者の人にとっては書くことが思考そのものになる。
だから「書く過程が楽しい」という感覚が生まれる。
しかしこれは人間の思考スタイルの一つでしかない。
創作の本質ではない。
5 手を動かすことを神格化すると何が起きるか
ここで危険なのは、手作業を創造性と同一視することだ。
もしそうだとすると
タイピングが速いほど創造的
文字数が多いほど創造的
長く書くほど創造的
という奇妙な結論になる。
だが実際には創造性は構造を作る能力にある。
6 AI議論が噛み合わない理由
AIを巡る議論が噛み合わないのもここだ。
手作業を創作だと考える人にとっては
AI
= 過程の省略
になる。
しかし思考中心で創作する人にとってはAIは単に出力の補助ツールに過ぎない。
つまり議論が噛み合わない理由は創作の定義が違うからだ。
7 創造性は手ではなく構造にある
創作とは新しい構造を生むことだ。
それは
思考
観察
仮説
から生まれる。
手を動かすことはその結果を外部に出力する手段に過ぎない。
8 手を動かすことを創造性と短絡する危うさ
手作業を神格化すると本来の創造性が見えなくなる。
そして思考より作業が評価される世界になる。
それは創作にとってむしろ危険な発想ではないだろうか。
