万物往来 ― 定めるとは流れを止めることではない

「行ったり来たりするな。」
私たちは幼い頃から、どこかでそう教えられてきた。
意見が変わること。
迷うこと。
考えが揺れること。
それらは「定まっていない」状態として扱われる。
しかし、本当にそうだろうか。


万物は往来している

世界を見渡せば、止まっているものなどほとんど存在しない。
昼と夜は往来し、
春夏秋冬は巡り、
潮は満ち引きを繰り返し、
血液は循環し、
呼吸は吸って吐く。
人もまた、
出会いと別れを繰り返し、
学びと忘却を繰り返し、
肯定と否定を往来しながら生きている。
往来とは異常ではない。
むしろ、往来こそが万物の自然な姿である。

定めるとは何か

では、「定める」とは何だろう。
よく誤解されるのは、
「動かなくなること」
「変わらないこと」
だという考え方である。
しかし世界は止まらない。
だから定めるとは、
流れを止めることではなく、流れの中で軸を見つけることなのではないか。
川は流れている。

その中で船は進路を定める。
流れを止めたから進めるのではない。
流れがあるからこそ、方向を持つ意味が生まれる。

軸の有無

軸がなければ、
流行に流され、
感情に流され、
他人の評価に流される。
しかし軸がある人は違う。
同じ情報を受け取り、
同じ世界を見ながら、
「何を受け入れ、何を手放すか」
を自ら選ぶことができる。
軸とは外界を拒絶する壁ではない。
万物の往来を評価するための基準なのである。

誘導される範囲

人は誰も外界の影響を受けずには生きられない。
問題は、
「影響を受けること」
ではない。
問題は、
どこまで影響を受けるかを、自分で決められるかである。

軸がない人は、
外界が方向を決める。
軸がある人は、
外界を参考にしながら、自ら方向を決める。
その違いは大きい。

万物往来

私は、「一往一来」という言葉を見ていて、こんな考えに至った。
万物往来。
万物は絶えず往来している。
だから、往来することを恐れる必要はない。
考えが変わることも、
試行錯誤することも、
立ち止まることも、
すべて流れの一部である。
本当に重要なのは、
流れを止めることではなく、
その流れの中で、自分はどこへ向かうのか。
その軸を見つけることなのだ。

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