SNSで“歴史的”と言われる出来事は、だいたい来週には忘れられている。

ニュースを開くたびに「歴史的」という言葉が踊っている。

歴史的転換点。
歴史的決断。
歴史的瞬間。

だが、ふと思う。

その“歴史的”は、来週も語られているだろうか?

たいていは、消えている。


「歴史的」は事実の評価ではなく、感情の最大値

本来、「歴史的」という言葉は後世の評価だ。

数年、数十年を経て、「あれは転換点だった」と振り返るときに使われる。

だがSNSでは違う。

出来事が発生したその瞬間に、「歴史的」が貼り付けられる。

これは評価ではない。

感情のピーク演出だ。

映画の宣伝文句でいうところの

「全米が泣いた」

と同じ構造。

実際に全米が泣いたかどうかは重要ではない。
重要なのは「今、感情の頂点にいます」という合図だ。

SNSはクライマックスしか扱えない

現実はグラデーションだ。

外交は調整の連続。
社会変化は漸進的。
秩序の再編は数年単位。

だがSNSは違う。

  • 勝敗が見える瞬間

  • 群衆が歓喜している映像

  • 強いリーダーの断言

  • 敵が明確な構図

これしか伸びない。

過程は伸びない。
曖昧さは伸びない。
保留は伸びない。

だから「転換点“風”」が量産される。

歴史の軽量化

本来、歴史は重い。

文脈があり、因果があり、積層がある。

だがSNSでは、歴史はトレンドワードに変換される。

24時間の出来高で消費される。

そして次の「歴史的」へ移動する。

ベネズエラ。
アフガニスタン。
どこかの政権崩壊。
また別の戦争。

“歴史的”は、インフレする。

忘却は解決ではない

ここが一番重要だ。

SNSから消えることは、問題が解決したことを意味しない。

単に刺激が弱くなっただけだ。

観客が次の物語へ移動しただけだ。

本当に歴史的なものは、だいたい退屈だ

皮肉だが、本当に歴史的な変化は、その瞬間にはたいてい地味だ。

合意文書の修正。
規制の微調整。
通貨政策の変更。
人口構造の変化。

誰も「歴史的!」とは叫ばない。

だが後から振り返ると、そこが転換点だったりする。

SNSで“歴史的”と言われる出来事は、だいたい来週には忘れられている。

それは時代の劣化というより、フォーマットの問題だ。

私たちはニュースを見ているようで、実際は予告編を見ている。

「全米が泣いた」と同じ構造で、世界情勢を消費している。

歴史が軽くなったのではない。

軽く編集された歴史を、高速で回しているだけだ。

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