70時間の中の違和に向き合う
この記事は、ukiyojinguさんによる楽曲、または映像作品『Digital Detox 20240608-0815:電子回路から切断され、強制同期から解放された私たちは何を考え、感じてきたか。』と、以下のnote記事を視聴した上で書いたものです。
私はすでに、この方の作品群を以前から認知し、慣れてしまっているがゆえ、私にとってこの作品は大きな違和ではなかったかもしれない。しかし、私はこの方の作品を視聴したとき、また記事を読んだときに、自分もその作品から受け取ったものを何かしらの形にしてみたいと思わされる。今回、ちょうど良い機会が訪れたので、試しにここに書いてみる。
大量の音楽が目まぐるしく消費されていく。ある人はある曲を聴き、自分にとって心地の良いものでなければ次の動画へと飛ばしていくのだろう。この70時間の中で、意図的に3時間を超える再生時間を取り、誰かにとって不快な要素を散りばめ、またある人にとっては音楽と呼ばれない「映像」、“違和感”となることを目指した作品と、それを受け取った私自身について考える。
私は、以前まで自分の生活や健康よりもSNSやVOCALOID作品の視聴を優先していた。中学2年生の頃にボカコレ2022秋があり、Kiite Cafeを本格的に利用し始め、丁度その頃にぼかれびゅ通信がスタート。私は強制同期の渦に飲み込まれていった。
私が初音ミクv4xを母親に頼んで購入してもらったころ、私にとって初音ミクは折り紙のような存在だった。私は中学校に上がって、学校の情報教育のために使用するノートパソコンをもらい、Studio Oneをダウンロードして、曲を作るわけでなく、ただ音を並べて遊んでいた。同時期に学校でプロセカが流行る。どうやら、機械で歌声も作れるらしい。そうしてやっと初音ミクに辿り着く。
初音ミクを折り紙のように捉えていた私のVOCALOIDへの価値観は、ボカコレ2022秋を契機に変化していく。私はいわゆる“ボカロリスナー”になっていた。
2023年にはKiite Worldというサービスが開始する。インターネット上の他人と、同じ瞬間同じ曲の同じ場所を試聴できる「同期する」という機能を利用し、私はSNS上で周囲の人々と「ツアーイベント」という文化を確立していった。そこでは、主催者がプレイリストを作成し、Kiite Worldで再生する日時を決め、参加者はその時間にKiite Worldに集まる。それは、まさに強制同期であった。
私はよく、劇場に足を運ぶ。その公演は主に、片手で数えられるほどしか上演されない作品(高校生や大学生が主体となっているものが多い)である。一方で、私にはあまり購買意欲というものがない。観光地に行っても、部活で配ることだけを目的としたお土産しか買わず、写真を撮るより自分の目で見、調べるよりその場にいる人に話を聞く。私は、その瞬間その場所にしかない「体験」を求めてしまうのだろう。
Kiite Worldでのツアーイベントは、主催者が決めた日時に同期していなくとも、あとからいくらでもそのセットリストを視聴できる。しかし、それでも、自分の生活や健康を削ってもなお、私は主催者に同期することを望んでしまうのだ。そこにはやはり「体験」を求める心理が働いているのだろうか。
ボカコレというイベント中、なるべくたくさんの楽曲を視聴したいという心理の要因は、ランキングがあるということや、楽曲を埋もれさせないという想いだけではなく、“ボカコレ期間中に楽曲をたくさん聴く”という「体験」を求める心理が働いてるのではないかと、私は考える。私の周囲には、ランキングを全く気にしていないものの、イベント期間中になるべくたくさんの楽曲を聴きたいという人が沢山いるように感じている。
以前までの私なら、この心理に従い、期間中に沢山の楽曲を消費し、ぼかれびゅを書き、Kiite Cafeに行き、生放送を視聴していただろう。しかし、今回はそうではなかった。
昨年の秋ごろ、私は高校の行事や部活動の大会等の方により重きを置くため、Kiite WorldやSNSから距離を置くことを宣言した。(宣言しなければできないのかと、自分の弱さを想う。)
それ以来か、それより少し前からか……私の主軸は、自分の生活や健康の方へとズレていった。いや、戻っていったというのが正しいのか。それが、今回のボカコレへの私なりの接し方に影響を与えてるように感じている。
私にはボカコレ期間中に丁度重なるようにして、私生活の方で大きなイベントがあった。そのイベントの隙間時間、家で過ごす時間、ニコニコ動画にアクセスする時間はいくらでもあった。しかし、私はその隙間さえ、一切作品を視聴しないことを決めていた。
本日は月曜日、祝日。私は大きなイベントを終え、喫茶店でこの作品を視聴し、メモ帳にこの記事の元となる文を殴りがきしている。……そろそろ、スマホに文字を打つ人差し指が疲れてきた。私に残されているボカコレ期間は、あと僅か4時間。私は喫茶店で、まず目当ての一曲を何度も咀嚼した後、この作品を選んだ。
ukiyojinguさんは、この映像化による領土化への抵抗としての、脱領土的戦略であること、この離脱は不完全であることを語っている。その不完全性の上で、私はどのように生活を展開していくのか、展開したのか。(これらについては、本人の記事を参照してほしい。)
たとえ、この映像を始めから通して視聴し、noteを読んでも、私は作者からの提案を完全に受け取ることはできない。それでも私は、この70時間の中の数時間をこの曲に費やし、自分なりに提案を受け取り、自分の生活を振り返った。この乱雑な記録も、この70時間のうちに、インターネット上で公開してしまおうと思う。
2025年2月24日月曜日
追記 20250818
この「ぼかれびゅ」は、ぼかれびゅ通信第49回にて紹介されました。
再生時間1:00:00~
