専業主婦、岐阜出張を遊び倒す
これは一泊二日の出張を、最大限遊び尽くそうとしたヒマな専業主婦による記録である。

Q なぜ専業主婦が出張をするのか。
A 彼女は教会でボランティアの通訳をしている。数ヶ月に1回、岐阜の姉妹教会に説教師を送りだすとき、おまけの通訳として送ってもらえる。新幹線代を出してもらえるのである。
出張依頼は突然に。いや、カッコつけてるみたいだけど、牧師からの依頼はいつも一週間前なのだ。そんな突然の依頼にも応えてしまえるのが専業主婦の強みである。時代に逆行しているのである。
「今週の日曜日、行けます?」
「子どもを預けることができたら!」
この専業主婦には、強い味方がいる。それはおかあさまズである。一つ返事で子どもを何日も預かってくれる素晴らしき義母がおり、同居している実母が夫の最低限の面倒をみてくれる。大丈夫かな、わたし、マリー・アントワネットと間違えられて、ギロチンにされないかな?
岐阜に行くのもこれで四回目。スマートEXを使って新幹線に乗るのも慣れたものである。慣れた、と自称して悦に入っているところがシロウトである。新幹線のシロウトってなあに?

しっかし、七月に岐阜!
真昼の大垣駅に降りたつと、自主規制。日系ブラジル人の青年が車で迎えにきてくれる。その車を探して走りまわったほんの三十秒が痛い。
失礼だから言わないでおこうと思った自主規制ワードを、車に乗りこんで早速口に出してしまう。
「それにしても、暑いね!」
「暑いねェ!」
じぶんより十才は若い好青年を相手に、わたしは大垣の景色についてまくしたてる。
「わたし、はじめて揖斐川を渡った! いままで木曽川と長良川は渡ったことはあるけど、揖斐川ははじめて! これで木曽三川をマスターできた! ねえ、あそこに見えるのは、伊吹山!?」
「そうデスヨ。冬はもっときれいですネ」
「雪がつもって白くなるのね!! わあ、わたし、山大好き!!」
「シスターフサエは、地理が好きですネ?」
「(照れ)」

青々した田園のなかの、一軒家につく。その玄関脇の応接間のようなひろく明けられた部屋に、ひとびとが集う。
わたしはこの教会が好き。たった二つの家族が、交互にお互いの家に集まってひらいている、誰もしらないホームチャーチ。だけれど、ここのひとたちは、言葉も通じないのにみんなあたたかくて、そしてやさしい。
それにだんだんと、聖霊の火が点いてくる。
楽器を弾けるひとがだれもいない。だから、カラオケのように、歌詞のついた動画をテレビに流しながら、みんなで歌う。それなのに、それなのに、わたしたちは主を礼拝していた。主がそこにいることを確信しながら。
それに、なんという説教! ナイジェリア人の兄弟は、天地創造から、ダニエルの見た幻から黙示録の獣に、反キリストから、二人の証人へと、聖書とこの世界とを始まりから終わりまで、息をのむ間もないくらい、縦横無尽に駆け抜けた。
それは、高いところに引き揚げられるような、ものすごい密度の説教だった。それをわたしたちは、応接間に座って、たった六人で聞いていた。だれが知っているだろう、いま田んぼの真ん中で、黙示録とダニエル書の幻が解き明かされていることを。
その説教は三時間続いた。わたしが日本語に訳出し、AIがポルトガル語に訳出する。わたしは途中でトイレ休憩をもらっただけで、最初から最後までAIよりも速いスピードで訳しぬいた。
AI先生はすごい。つい二ヶ月まえよりも、明らかに上達しておられる。わたしがクビになる日も近そうだ。いまのうちに出張を楽しまないと。なんといっても、AI先生はトイレに行く必要がないのだから。
まあ、後半はポルトガル語じゃなくて、とつぜんロシア語をしゃべりだしたりしたけど、そんな芸当、わたしには真似できませんもの。
AIをライバルに通訳しおえて、完全に溶けきったわたしに、ブラジル人と中国人の姉妹が手料理を振舞ってくださる。それがいつも美味しいのだ。わたしたちはすっかり寛いでしまって、いつの間にか六時をまわっている。
「ぼく、いまから東京に帰らなくちゃいけないから」
とナイジェリア人の兄弟が腰を上げようとすると、ブラジル人の牧師が、お酌をしているみたいに、まあまあまあ、と座らせてしまう。それを、アパホテル大垣駅前を予約済みのわたしが、のんきな顔で眺めた。

夕べの大垣はうつくしい。暑い盛りも過ぎて、白い月が夢のような夕空に昇った。指紋のようなふしぎな雲が、大垣駅のうえに浮かんでいた。これは神さまの指紋かしら、ここにいるよと言っておられるのかしら。

兄弟たちと別れて、わたしは大垣の街を歩きだす。どこか廃れたような、ふしぎな街だ。それは日本が豊かな頃に出来た器で、いまは半ば空に成りかけている。そこをベトナム食材店だとか、ブラジリアンスーパーだとかが埋める。あまりの暑さに、街にはからっ風が吹いている。わたしはそんな印象がしていた。
大垣のお城はちいさかった。いままで見たなかでは、埼玉の忍城に似ている。水路があって、それは古い水郷の街について書いた、廃市を連想させた。あれは福永武彦の小説だったか。北原白秋の詩であったか。


街に人影はまばらで、ときどき犬を連れたひとに出会うくらい。わたしは、ここから十分ほど離れた田の中の一軒家で、ほんの数時間まえに語られていた炎のようなみことばを思った。魂を復活させるような説教を。あれを聞いていたのは、十五万人いるという大垣市のなかの、たった六人であったっけ。
アパホテルは悪くないホテルだ。癖は強いけれど、かゆいところに手が届く使い心地のよい部屋をしている。ちょうどよいところにフックがあって、リュックを掛けることができるし、照明のスイッチも使いやすいし、なにより大浴場がある。しかもここアパホテル大垣駅前店には、サウナまである。

これはほんとうに恩寵であった。わたしには朝早くから岐阜に行き、AIよりも速く通訳をし、それから三浦半島まで帰るような体力はない。やったこともあるけれど、でもない。わたしは一泊したい! アパホテルで温冷交代浴でもさせてくれなきゃ、あんな過酷な通訳はしない!
温冷交代浴いいよね…… わたし、サウナより好きかも…… サウナって、なんか閉じてるし、ときどきものすごいコミュニティが出来上がっていて、波乱万丈な人生や燃やしたくなる旦那の話を聞きたくなくとも聞かされちゃうでしょ。それに比べて、水風呂は平和よ?
あつ湯と水風呂に、疲れを溶かして、わたしは狭いシングルの部屋で聖書をひらき、そしてひざまずく。ナイジェリア人の兄弟は言ったっけ。神さまの良い妻になれって。
通訳にかこつけて、ひとり旅を楽しんでいるわたしが、夫にとって良い妻だかは知らない。でも、わたしはわたしだから仕方ない。
神さまの、良い妻になること。

*
翌朝、アパホテルを、十時半にチェックアウトした。旅に出るまえには、あれも食べたい、これも食べたいと店を調べるけれど、実際旅を始めると、わたしの胃はひっくり返ってしまう。ひとり焼肉なんてできなかったし、朝ごはんに目論んでいた卵かけご飯定食さえ、食べたら吐きそうな気がした。
大垣駅からは、養老鉄道が走っている。その電光掲示板には、桑名行き、との文字がある。その手は桑名の焼き蛤! なんて夢があるのでしょう、いっそ桑名に行ってしまおうかしら。
新幹線は速すぎる。のぞみに乗ったとき、これは人間にはふさわしくない速度のような気がした。飛行機でアメリカに行ったこともあるのに、なんだか身体と心が付いていかないような気がして。ボーイングのマッハの速度も、わたしを混乱させた。
わたしは毎年通うアラバマの教会が、地球の反対側ではなくて、家の裏庭にあるような気がしていた。二つの場所は、ふつうは開かない扉でつながっているのだと。それほどアラバマの赤い丘はわたしの一部になっていて、その物理的な距離がどうにもわたしに馴染まないのだった。

JR大垣駅から、快速の豊橋行きが出ている。いつもなら、名古屋で降りて、新幹線で帰るところだが、せっかくですもの、電車で旅してみようじゃありませんか。
窓のそとには、岐阜城、それから清洲城。そして名古屋のふしぎなビルに、豊臣とかかれた大きな看板。美濃から尾張へ、そして三河の国へと移りゆく。
岡崎駅で途中下車する。もちろん目的は岡崎城だ。そりゃそうでしょう、なんたって家康公生誕の地ですものね、と思いました? いいえ、違うのです。わたしが岡崎城に行きたいのは、それが三河西郷氏の建てた城だからなのです。
岡崎城に西郷氏目当てで行くひとがいるでしょうか。ええ、ここにいます。そしてそのひとは、寂しい思いをします。なぜなら、そこに見いだすのは、西郷氏が建てた城ではないからです。家康公ゆかりの城として、崇められ、飾りたてられた、立派な岡崎城しかそこに見いだせないからです。

わたしの先祖の三河西郷氏は、たしかに岡崎城のもととなる城を建てました。けれど勢力争いに負け、城は松平氏のものになりました。そして家康公が生まれたのです。
わたしは、じぶんの趣味が分かった。温泉と先祖だ。ひとりで気ままな旅をしていいと言われたとき、わたしを突き動かすのはその二つらしい。旅には温泉がなくてはならないし、先祖のためなら、真夏の岡崎の街を彷徨いもする。

岡崎は、想像よりも大きく立派だった。JRの駅からバスに乗って、お城へゆき、名鉄の東岡崎駅から豊橋に向かった。
乙川の袂には、静岡県西三河庁舎と銘打った品のあるタイル張りのビルヂングが聳えていた。岡崎は、層の厚い街、というふうな印象がした。それぞれの家庭に、地層のような蓄積があって、それが駅ですれ違う目の大きな少女たちの裏に控えているような。
実際、岡崎の人口は三十八万人で、これはわが愛する信州松本の二十三万人と比べても一段上である。昨日の大垣は十五万人であったから、やはり地方都市としての規模が違うのである。
街の中心を流れる乙川は、多摩川くらい広い。そこに立派な橋がかかっていて、まっすぐ歩けないような強い風が吹いている。わたしは岡崎がこんなにすごい街だとは思わなかった。東海地方の底力というのは、おそろしいものだ。
風に吹かれながら、わたしはどうしても先祖のことを思ってしまう。下剋上されてしまった先祖たち。西郷氏は、この三河の国の守護代だった。それなのに、山奥からやってきた松平氏に、城を奪われてしまった。

だいたいわたしの先祖は、負けてばかりいる。わたしの先祖が勝った戦なんてあるかしらと考えて、日露戦争を思うけど、あれは勝利とはいえない。そう、このあいだ日本がどこで道を踏み誤ったかを考えていた。満州事変かしら、石原莞爾のせいかしら。
いいえ、でもなぜああいうひとたちが出てきたのかしら。それでわたしは、あの日露戦争を勝ったと思い込んでしまったことに至る。勝って兜の緒を締められなかったあの戦い―
でもこれはじぶんの考えじゃなかった。司馬遼太郎先生の刷り込みだった。子どもの頃に司馬ばかり読んでいた人間は、司馬史観から抜け出せなどしない。
わたしは七十才のおじいさんなのではないのだろうか。

ばたばたばたと騒ぐ帽子を懸命に押さえる。橋のうえの一歩一歩は、風を踏みしめるよう。そう、わたしの先祖はいつも負けている。でも、わたしはここに生きている。
持続しようとする意思が、わたしのなかに流れているのだろうか。打ち負かされてしまわないものが。戊辰戦争を生き抜いた先祖たちと、シベリアから帰ってきた祖父とが、わたしのなかに立ち上がる。わたしは真夏の太陽にやられている。
名鉄の東岡崎駅からだって、豊橋に行ける。東海地方の鉄道網はおもしろい。ホームには、「伊奈」行きの電車が停まっていて、信州マニアはびっくりしてしまう。

え!? ここから伊那に行くの!? え、なんで名鉄に飯田線!?
あまりに気になって、写真を撮ってしまう。撮ってから気づいた。伊奈は、伊那ではない。
はじゅかしい。ともかく豊橋に着くと、こんどは本物の飯田線が停まっていた。岡谷行きだそうである。これで岡谷まで行ったら、松本はすぐそこだ。松本に一泊して、家にはあした帰ろうかなあ、という妄想をするけれど、一瞬で打ち払う。あぶない、あぶない。
豊橋からは、二つの選択肢がある。このまま新幹線で帰ることもできる。しかし、浜松まで各駅停車の旅を続けることもできる。
どちらを選んだかは、もうお分かりのことでしょう。
浜松では、一時間の余裕があった。ChatGPTは浜松餃子と駅前広場の散策を勧めてくれるけど、餃子は食べられそうにないし、駅前広場は二十年前に見たことがある。だから、駅ビルの本屋さんに向かった。
昨日、ナイジェリア人の兄弟に、わたしは内村鑑三を勧めた。日本人のクリスチャンのなかで、このひとは本物だ、と思うひとだと。彼はみずから啓示を得て、キリストの再臨を信じるまで至っていたこと。
兄弟は、とても興味をそそられたらしい。ネットを検索して、この本がそのウチムラカンゾウ? ときかれた。わたしはその本を読んでいなかった(笑)
ずらりと並ぶ岩波文庫の棚から、内村鑑三の「キリスト者の慰め」をとりだして、レジに並ぶ。
この谷島屋書店はすごいですよ。本を買ったら、併設カフェの五十円割引券をくれるんだもの。良い本屋がある地方都市を、わたしは評価するのである。ふむ、浜松は良い街に違いない。
新幹線の時間が迫っているから、カフェラテはテイクアウトで。けれど恐ろし、浜松の駅ビル、一階の通路でわたしはすってきなブースを見つけてしまう。鉱物標本のリングですって!
ワゴンセールのように、いろんな石のリングが百円から並んでいる。ラピスラズリに軟石翡翠にアゲートに。ちゃちなものだけど、でもこの値段だから、おもちゃと割り切ればいい。わたしは八百円で、ペリドットの指輪を買った。

急いで新幹線の改札にはいると、こんどはそこにカワイのパブリックピアノが置いてある。もちろん、わたしは弾けません。でも神さまは、そこにピアニストまで用意してくださったのである!
彼女はまず、エリーゼの為にを弾いた。それはプロのような演奏だった。それからショパンのノクターン、そしてドビュッシーの月の光、そしてムーンライトソナタ……

一曲終わるごとに拍手した。彼女が演奏を止め、荷物を手に立ち上がったとき、わたしは感謝した。
「ほんとうに素晴らしい演奏を聴かせてくださって、ありがとうございました」
それから、わたしたちは東京方面のホームに上がった。こだまがそろそろ到着する時間だった。

