鋼鉄ジーグ~知らないうちに改造人間にされていた主人公の悲哀~
鋼鉄ジーグというアニメは、考えなくてもイロイロとかなりおかしい。
主人公が父親に戦いを強制される--というのは昔のアニメにはよくある設定だが、知らないうちに改造人間にされ、周りの登場人物がそれを当たり前のように受け入れているというトンデモなさなのだ。
1.鋼鉄ジーグ
鋼鉄ジーグは1970年代生まれの方なら、この玩具を一度は目にしたことがあるのではないだろうか。
タカラ(現:タカラトミー)がマグネモという玩具を企画し、永井豪とタッグを組んで展開されたアニメ、玩具シリーズである。

基本フォーマットは、敵となる邪魔大王国が銅鐸を探し求め、主人公である司馬宙(しばひろし)の家族や友人に害をなすので、宙は鋼鉄ジーグとなり邪魔大王国のロボットを撃退するというものだ。
ここまで見れば、マジンガーZをちょっと発展させたスーパーロボットものという印象だろう。
だが、鋼鉄ジーグの狂気はそんなものではないのだ。
2.司馬宙の苦悩
宙は、サイボーグ形態を経て鋼鉄ジーグに合体するヒーローである。
家庭をまったく省みないマッドサイエンティストの父を持ち、自動車整備工場「司馬モータース」の経営をしつつ、母親と妹を養い、カーレースにも情熱を向け、日本一のレーサーになることを夢見る見上げた青年だ。

ところが……ところがである。


鋼鉄ジーグで最も狂気な設定は、父親の司馬遷次郎博士が、地上の制覇を目論む邪魔大王国が追い求める「銅鐸」を隠すために、宙の身体を勝手にサイボーグに改造し、その体内に隠した悲劇だろう。
宙はサイボーグになってしまった自分に悩み、葛藤し、受け入れてはいくのだが、人間と切り離されてしまったその現実は重い……。
3.マッドサイエンティスト司馬遷次郎
主人公の宙の父親である司馬遷次郎は、邪魔大王国が自分の命を狙っていることを事前に察知し、マシンファーザーと呼ばれる機械に自分の記憶を移植している。

息子を勝手に改造しておいて、1話でいきなり「自由を愛するひとりの人間として、ヒミカの野望を断じて許すわけにはいかない」と宙に説くのだが、宙の人間としての尊厳を踏みにじり、ヒミカと戦うことを強制的に宿命づける--もうどこからツッコんだら良いのかわからないレベルである。
このマシンファーザーの狂気はそれだけにとどまらない。
サイボーグである宙に対してたびたび根性論を説き、特訓を強いるのである。サイボーグに性能以上を求めるムチャさ加減はもはや腹筋がよじれるほど面白い。
さらに、マシンファーザーとなった夫とサイボーグに改造された息子をごく当たり前に受け止めている妻の司馬 菊江。

普通なら息子を勝手に改造した上にコンピュータになった夫に、もっと違った反応を示すと思うのだが……それでいいのか?
4.邪魔大王国
司馬親子のムチャクチャさ加減で本編でも割と存在感が薄いのだが、ヒミコ率いる邪魔大王国も忘れてはならない。

後半になってヒミカは倒される。
その後の敵として竜魔帝王が現れ、その配下のフローラ将軍と宙のロマンス的なエピソードもあったりするのだが、やはり鋼鉄ジーグのムチャクチャさのインパクトが強く、どうにも影が薄い。
5.商業的大成功を収めた鋼鉄ジーグ
そのハードというかトンデモな設定の鋼鉄ジーグは、玩具が大ヒットし、比較的安価で購入できる価格設定で好評を博した。

磁石で四肢がくっついており、オプションパーツでマッハドリルやジーグバズーカなどが交換式で取りつけられる。
ちょっとしたエピソードで、砂場に鋼鉄ジーグの玩具を持ち込み、砂鉄が磁石について取れなくなったという少年たちが多発したのだ。僕は鋼鉄ジーグの玩具を持っていなかったので笑っていたが、この砂鉄の呪いにかかってしまった子どもたちの悲哀は計り知れない……。

また、鋼鉄ジーグはイタリアでも大ヒットし本作をモチーフとした映画まで作られるほどの人気を博した。
2007年には鋼鉄神ジーグという、アニメではなく漫画版を原作とした新作も作られている。かなり面白いので、いずれ記事にしたいと思う。
6.最後に
今改めて観ると、ムチャクチャな設定がかえって心地よく感じられる鋼鉄ジーグ。
その異常さは人間としての尊厳よりも、役割が優先されていることにある。
ツッコミどころ満載なのでそこを楽しむのも面白いのだが、別の見方をすれば、邪魔大王国の脅威に対抗するために尖りに尖った親子という構造だとも読み取れる。……最大限譲歩してだが。
無茶苦茶な設定でありながら、それを成立させてしまう勢いこそが、この作品の魅力だ。今なら気軽にVODなどで観ることができるので、機会があればぜひご鑑賞いただきたい。
なお、ご存じの方も多いと思うが、エンディングテーマは語り草になるレベルのカッコ良さなので、未見の方はぜひご鑑賞いただきたい。
ところどころに入るシャウトやドラムのカッコ良さがノリノリな歌である。


