装置事業売却とDOE4.0%が照らす資本規律 ― 東京応化工業 執行役員経理財務本部長 髙瀬興邦氏の財務マネジメント
▼プロフィール
・氏名:髙瀬 興邦(たかせ おきくに)氏
・所属企業:東京応化工業株式会社
・現職:執行役員 経理財務本部長
・専門領域:財務戦略・資本政策・コーポレートガバナンス
▼キャリアの歩み
・ 経理財務本部長 就任に先立ち、同社コーポレート部門での経験を積む
・現在:東京応化工業株式会社 執行役員 経理財務本部長 (2026年5月時点)
▼代表的な成果
① 半導体製造装置事業の戦略的売却(2023年)
2023年3月1日付で、東京応化工業は半導体用・ディスプレイ用製造装置事業(一部を除く)を AIメカテック株式会社 へ譲渡しました。
同社がかつて展開してきた装置ビジネスは、シリコンサイクルの波に業績が左右されやすく、開発投資(R&D)およびカスタマーサービス維持コストが利益率を恒常的に押し下げる要因となっていました。
同社はこの譲渡によって装置本体の販売リスクをAIメカテックに移転しつつ、装置プロセスで消費される高純度接着剤・剥離液・フォトレジスト等の 「材料ビジネス(消耗品)」 の供給関係は維持するという 「Materials & Equipment(M&E)戦略」 を確立しました。
この構造転換は、投下資本(有形固定資産・運転資本)をスリム化しながら高付加価値材料による営業利益を拡大させる効果をもたらし、全社的なROICの底上げに寄与しています。
② 2025年12月期 2期連続過去最高業績の達成
2026年2月9日に開示された2025年12月期(第96期)決算において、東京応化工業は売上高・営業利益・経常利益・当期純利益のすべてにおいて2期連続の過去最高を更新しました。
生成AI向け半導体需要の急拡大を受け、エレクトロニクス機能材料・高純度化学薬品の両部門が大幅な増収を達成しています。
主要財務指標は以下のとおりです。
・売上高:2,370億円(前年比 +17.9%)
・営業利益:474億円(前年比 +43.2%)
・EBITDA:562億円(EBITDAマージン 23.7%)
・ROE:15.6%(前年比 +3.8ポイント)
このうち、営業利益の増減内訳を分析すると、売上増加・プロダクトミックス改善による増益が +193億円をけん引し、為替変動・売価調整が △16億円、経費増加が △55億円という構成でした。
また、第4四半期において 「開発関連材料等の在庫認識による一過性の増益」 +20億円が計上されています。
これは、EUVレジスト等の開発プロセスで使用される高価な原材料・添加剤のうち、期末時点において将来の使用価値が認められる未使用部材を、従来の即時費用処理から貸借対照表上の棚卸資産(原材料及び貯蔵品)として計上する会計処理を選択したものです。
単なる利益操作ではなく、開発材料自体が高い市場価値と将来のキャッシュ創出力を持つ「資産」であるという実態に即した財務判断として評価できます。
③ 2026年12月期 3期連続最高益への道筋と中期計画の上方修正
2026年12月期の通期業績予想は、売上高2,610億円(前年比 +10.1%)・営業利益522億円(前年比 +10.2%)と、3期連続での過去最高更新が見込まれています。
同時に、2026年2月時点で 「tok中期計画2027」 の定量目標が上方修正されました。
生成AI関連需要の当初予想を上回る拡大と、為替レート(想定:135円/ドル→150円/ドルへの見直し)の変化を受けたものです。
修正後の2027年度目標は以下のとおりです。
・売上高:2,950億円(当初目標比 +250億円)
・営業利益:600億円(当初目標比 +120億円)
・EBITDA:720億円(当初目標比 +140億円)
・EBITDAマージン:24.4%(当初目標と同水準)
3ヵ年(2025〜2027年度)の累積EBITDAは約1,900億円を見込む計画です。
④ 規律ある株主還元とDOE4.0%の継続
東京応化工業は、 「純資産配当率(DOE)4.0%を目処とする配当方針」 を明確にコミットしています。
2025年12月期は年間配当72円(8期連続増配)を予定しており、2026年12月期は年間配当80円を予想しています。
DOEを配当基準とすることの最大の財務的意義は、シリコンサイクルによる当期純利益の急激な増減から配当額をデカップリング(切り離し)できる点にあります。
株主資本(純資産)が毀損しない限り、一時的な利益減少局面でも配当水準が維持される仕組みであり、中長期投資家に対して極めて強い安定シグナルを提供します。
なお、自己株式取得についても弾力的に実施することを基本方針として掲げており、2024年度〜2025年度にかけて複数回の自己株取得を実施しています。
⑤ グローバル生産基盤の拡充投資
中期計画2027において設備投資総額760億円、 「成長投資・ポートフォリオの拡充」 として200億円以上の枠を確保し、主要工場への戦略的CAPEXを実行中です。
主な投資プロジェクトは以下のとおりです。
・ 阿蘇くまもとサイト(日本):高純度化学薬品の新製造拠点を建設、投資金額約130億円(2026年後半稼働予定)
・ 郡山工場(日本):世界最大規模のフォトレジスト製造棟を建設、投資金額約200億円以上(2027年稼働予定)
・ TOK尖端材料 平澤工場(韓国):高純度化学薬品製造棟の新設、投資金額約120億円(2027年稼働予定)
これらの巨大投資プロジェクトにより、2026年度の減価償却費は前年比 +28.3%(約113億円)に増加する見込みです。
財務本部はこの償却負担の増加をすでにシミュレーション済みであり、高付加価値材料の販売量増大によるマージン獲得で吸収するロードマップを描いています。
加えて、2025年にドイツの 「micro resist technology GmbH(MRT社)」 を完全子会社化しました。
欧州における顧客サポート体制の強化と、MRT社の技術との融合による製品ポートフォリオ拡充を目指した成長投資です。
▼経営思想・価値観
① 「守り」より「攻め」の資本配分:EBITDAの上振れ分は成長投資へ
中期計画2027では、累積EBITDAの見通しを当初比で約300億円上方修正しました。
しかし、株主還元の枠組みの増額は約40億円に留め、残る約260億円の大部分を戦略的設備投資・成長投資への先行投下に充当する方針を採っています。
この判断は、足元の好業績を安易な一時的還元に浪費するのではなく、 「先端レジスト世界シェアNo.1」 という長期的な競争優位の維持に投資優先で配分するという財務哲学を如実に示しています。
キャッシュアロケーション方針においても、 「ロングランの研究開発型企業(新規事業立ち上げ、人的資本・知的資本投資、気候変動対応、M&A)」 をキャッシュの充当先として明確に位置づけ、安定配当の継続と成長投資の両立を原則としています。
② DOE方針が体現する「サイクル超越型」の株主コミットメント
シリコンサイクルに業績が大きく左右される半導体材料企業において、配当基準を利益ベース(配当性向)ではなく株主資本ベース(DOE)に置くという判断は、単なるテクニカルな指標選択ではありません。
「利益が一時的に落ちても株主への配当は可能な限り維持する」という企業姿勢を、数値として公式にコミットすることを意味しています。
実際に同社のDOE基準は、 「tok中期計画2021(DOE3.5%)」 から 「tok中期計画2024(DOE4.0%)」 、そして 「tok中期計画2027(DOE4.0%)」 へと段階的に引き上げられており、企業成長に伴って株主還元水準を恒久的に底上げするコミットメントの積み重ねとして機能しています。
8期連続増配という実績は、この哲学の実践結果です。
③ 「品質プレミアム」を財務的堀(エコノミック・モート)として維持する思想
中国現地材料メーカーの台頭に対し、同社は価格競争への参入を明確に拒否する姿勢を貫いています。
これを財務的に正当化するロジックは明確です。
半導体プロセスにおいてフォトレジスト内のわずかな不純物(欠陥:デフェクト)は、高価なウエハ全体の歩留まり(良品率)を壊滅させるリスクを持ちます。
顧客にとって「TOK製品より安価な競合品を採用すること」は、発生しうる巨大な歩留まり損失リスクを引き受けることと同義であり、トータルコストでは割高になります。
この 「製品を使わないこと自体が顧客の最大の製造リスクになる」 という構造的な優位性を最高水準の高純度化技術で維持し続けることが、EBITDAマージン24%台を中長期にわたって守り抜く根拠です。
成長投資を郡山・熊本・平澤に集中投下しているのも、顧客ファブの近接地に生産基盤を拡張し、この品質プレミアム構造をグローバルで複製するための布石です。
④ 決算説明における「一過性要因の透明な開示」という姿勢
2026年2月の決算説明において、営業利益の増減内訳を説明する際、 「開発関連材料等の在庫認識による一過性の増益(+20億円)」 を明示的に切り出して開示した点は、財務コミュニケーション上の誠実さを示す好例です。
一過性の押し上げ要因を本業の実力と混同させないよう、「一過性要因を除いた場合」の数値も別途開示しており、市場参加者が2026年度の実力値を正確に把握できるよう情報設計されています。
▼出典一覧・参考資料
・東京応化工業株式会社 役員一覧(公式ウェブサイト)https://www.tok.co.jp/company/director
・東京応化工業株式会社 決算説明資料 2025年12月期決算(2026年2月9日開示)https://www.tok.co.jp/application/files/6217/7061/1266/account_2512_4.pdf
・東京応化工業株式会社 株主還元ページ https://www.tok.co.jp/ir/info/dividend
・東京応化工業株式会社 当社装置事業の譲渡完了のお知らせ(2023年3月1日)https://www.tok.co.jp/news/2023/230301_2
・東京応化工業株式会社 有価証券報告書等ページ https://www.tok.co.jp/ir/library/securities

