男は、六十代の女をどう見るのか
男は、六十代の女性を、いつまで「女」として見るべきなのだろう。
この問いを書いた瞬間、少し立ち止まった。
そもそも女性が女であるかどうかを、男の視線が決めてよいはずはない。けれど現実には、男は女性を見て、女性もまた男からどう見られているかを意識する。その視線の交差する場所に、恋愛も結婚も、嫉妬も孤独も生まれてきた。
若い頃、男は愛を欲望と取り違えやすい。会いたい、触れたい、自分だけのものにしたい。その激しさを愛だと思っている。しかし六十代になると、愛の輪郭は少しずつ変わる。
話を聞くこと。
同じ食卓につくこと。
相手の体調を気にすること。
何も話さず、同じ部屋で静かに過ごせること。
そこに若い頃の炎はないかもしれない。けれど、消えたのではなく、別の温度に変わったのではないか。男女の愛は友情に近づき、友情はケアに近づき、ケアの奥には、長い時間を共に生きた者だけが知る親密さが残る。
では、その関係はもう恋ではないのか。
女性を「女」として見なくなることは、穏やかな成熟なのか。それとも、相手の存在から性を奪い、見えない人にしてしまうことなのか。
六十代の女性を、若い女性と同じ物差しで評価する必要はない。しかし「もう女ではない」と決めつけることも、また乱暴である。皺も、白髪も、変わっていく体も、その人が生きてきた時間そのものだ。若さとは違う美しさがある、という月並みな言葉だけでは足りない。そこには人生を引き受けてきた人間の、静かな色気がある。
前作『おんなはいつまで女でいたいのか』では、女性の側からこの問題を考えた。続編となる本書では、視点を男性側へ移す。
ヨーロッパの高齢者研究、男女の親密性をめぐる調査、そしてコレット、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ドリス・レッシングらの文学と思想を手がかりに、老いと性愛、友愛、伴侶性について考えてみたい。
これは、六十代女性を評価するための本ではない。
男が自分の視線を点検するための本である。
愛は、最後には友情になるのか。
それとも本当の愛は、友情の姿を借りて、ようやく始まるのか。
答えは一つではない。
ただ、男も六十代になった今だからこそ、若い頃には見えなかった女性の姿がある。
新書『男は、六十代の女をどう見るのか』。
前作の問いに、今度は一人の男として答えてみたい。
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