もし脳出血になってなかったら、中国語やってた? note42日目
あの発想は、あのままの私では出なかった
もし、脳出血になってなかったら、
もし右麻痺になってなかったら——
たぶん私は、そのまんま
中国人向けのクリニックで、
中国人の同僚たちと、
中国語を使って働いていた、と思う。
日常的に中国語が飛び交っていて、
分からないなりに聞いて、困って、
少しずつ、使える言葉を増やしていく。
そんな毎日を、
普通に続けていた気がする。
きっとそれなりに困りながらも、
毎日楽しくやっていたと思う。
でも、
ひとつだけはっきり言えることがある。
中国語を
「失語症のリハビリに
使えるんじゃないか?」
なんて発想は、
絶対に出てこなかったと思う。
あの頃の私は、
「話すこと」に困っていなかった。
口が 思うように動かないことも、
言いたいことが出てこないもどかしさも、
知らなかった。
自分がそうなるとは、
想像もしてなかった。
だから、
わざわざ中国語を
“口の動きを取り戻すために使う”
なんてことは、
考えもしなかったはずだ。
同じはずの中国語なのに、
今とはまったく意味が違う。
あの頃は、
仕事で使うための言葉だった。
今は、
言葉を取り戻すための手段、
になっている。
きっかけは、
ほんの小さなひらめきだった。
でもそのひらめきが、
大きく流れを変えた。
もし何も起こらなかったら、
間違いなく
そのままの毎日を続けていたと思う。
それもきっと、
悪くなかった。
でも今は、
違う形で中国語と関わっている。
遠回りに見えるけど、
たぶんこれが、
今の私にとって必要な道だったんだ、
と思う。
あの発想は、
あのままの私では、
絶対に出てこなかった。
