慢性やりがい見失い病を発症しているオトナへ
「ねぇ、このひと、オニなのかな?」
「はい、じゃあ今からみんなでドッジボールしまーす!」
エネルギーあり余る小学3年生でパンパンの体育館。
本来なら「うぉー!」と歓声があがるセリフなのに、私がそう言った瞬間、シン…と凍りついた。
そりゃそうだ。今日の授業は “福祉教育”。
目の前には、ゲストとして車いすユーザーのゲスト、支援者のNPO職員さんに、「見守るわ!」と張り切る地域のおっちゃんおばちゃんズ。
「え、どうやって…?」
こどもたちは車いすユーザーからじりじり距離をとり、 オトナたちは「わたしたちはどうしたらいいのかしら」と、コート端でお団子状態。
ほらそこ。「オニなのかな?」って聞こえてんぞ。
スープ屋の情熱で入社した女
なぜ私がオニ進行をしたのか。
話は学生時代にさかのぼる。
ボランティアで通っていた児童養護施設の子たちの学校行事に、私はよく“姉貴役”で参加していた。
▼その詳細はこのシリーズで
そこで、浴びるわ浴びるわ偏見の視線。
「あそこの施設の子たちね」
保護者からの値踏みするような、あの感じ。
なんでだ? この子たちはこんなに素直で(やんちゃはするけど)こんなにいい子たちなのに。
そこで気づいた。
「あ、これ “知らない” からだ」と。
人は “知らないもの” がこわい。
こわいから距離を取る。
距離を取ったまま妄想だけが育って、偏見やら差別やらがすくすく育つ。
じゃあやることはシンプルだ。
“知る” ことから始めればいい。
それも一方通行じゃ意味がない。双方向でだ。
そう思って、私は社会福祉協議会というカタクルシイ名の組織の門を叩いた。
“福祉教育” ができるからだ。
(なお、緊張しすぎた最終面接では頭が真っ白になり、ほぼ何も答えられず。なぜか当時バイトしていたスープ屋の魅力と楽しさだけを流暢に語りきり「謎のポテンシャル枠」として2人採用のところを3人採用に増枠してねじ込んでもらった、といういまだに上司の飲み会テッパンネタとされる不覚すぎる伝説がある。そう、私はスープ屋の情熱で入社した女だ)
あんこスカスカの“たい焼き体験”をぶっ潰せ
入社して数年後 「あ、福祉教育担当やりますんで(圧)」 とゲットしたその座で、私はまず、かの有名なゴールデンコンビをぶっ潰したかった。
“車いす体験” と “アイマスク体験” だ。

あれやるとだいたい感想文がこうなる。
「たいへんでした」 「めがみえないひとはかわいそうだとおもいました」 「くるまいすにのってたのしかったです(え?)」
うすっっぺらー!
まるで中身のあんこが工場の気まぐれでしか入ってない、スッカスカのたい焼きだ。
これじゃ “知る” どころか、余計な “かわいそう” バイアスを上塗りするだけだ。
そうじゃない。そうじゃないだろ。
配慮遠慮じゃなくルールで殴り合え
だから、あえてカオスをぶち込んでみた。
あの体育館でのドッジボール宣言だ。
開始後、カップラーメンができる前(推定1分50秒)にゲームは崩壊。
子どもは遠巻き、大人はお団子。
知ってた。そこまでが前菜。
そこで初めて聞いた。
「じゃあどうしたら “みんなで” 楽しくドッジボールできるか、ルール作ってみない?」
そこからが、すごかった。
「車いすに当たったらアウト?」 「でも車いすも体の一部って言うし、アウトだよね」 「でも逃げにくいよ! ズルい!」 「じゃあ、車いすの人は3回当たったらアウトにするとか?」 「いや、俺が押して逃げ回るわ!」「じゃあ、上手い〇〇くんは利き手禁止で!」 「ワシらは外野専門でええか?」
彼らは “かわいそうな人” に “配慮” したんじゃない。
一緒にゲームをする “仲間” として、対等に戦うための “ルール” を本気で考えたのだ。
この “同じ場を共有する” ってことが、たまらなく大切なんだと思う。
同じ空間、同じ目線で、「これどうすんの?」って同じ方向を見て考えること。
再開したドッジボールにはもう「怖い」も「かわいそう」もなかった。
ただ、ルールの中で本気でボールをぶつけ合い、本気で笑い合う “ごちゃまぜチーム” がそこにあった。
慢性やりがい見失い病を発症しているオトナへ
こども、オトナ、障がいのある人、支援してる人、ただの近所のおっちゃんたち。 みんなで同じ空間で笑って、たまにちょっぴり気まずくなって、また笑って。
場の共有ができると、もう誰も完全には傍観者でいられない。
そして、ひるがえって思う。
「こども支援」って言葉、なんだか無意識に「支援する側(元気なオトナ)」と「支援される側(か弱いこども)」をバッサリ分けてないか。
いやいやいや。 鏡を見ろ。
オトナも大概、迷子やん。
なんなら子どもよりよっぽどタチの悪い「やりがい見失い病(慢性)」にかかっちゃないか?(盛大なブーメラン)
だから、もう「子ども“だけ”」の場所・支援じゃなくていい。
「オトナもどうぞ。ていうかオトナこそどうぞ。」って、デカデカと張り紙を出すべきだ。
こどもをダシに、オトナも輝くまちをつくる
…なんて偉そうに語ってるけど、このドッジボールのこと、つい先日仲間と語り合うまですっかり忘れてて(てへ)
いや、忘れちゃないけど、衣替えで「来シーズンまた着るし」と奥にしまったお気に入りのコートくらいの扱いしてた。
でも、そうだった。
「こどもをダシにして(言い方)、オトナも一緒に学び直す」
それって最高に合理的で、最高にワクワクする共育のカタチだ。
あのドッジボールみたいな “カオスな共育の場” が町中にできたら。
世代も立場もごちゃ混ぜになって「それ、どうすんの?」って一緒に頭抱えて、一緒に笑う、あの時間を共有できたら。
きっともっと、「知らない」からくる不安の壁が溶けて、お互いを面白がれるまちになるんじゃないか。
あの日の私がオニになったのは、たぶん、 立場を忘れて本気でぶつかった先にある、あのくちゃくちゃになった笑顔が見たかったから。
あのオニ役を、どうやら私はまだ辞められそうにないなあ。
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