「多動脳 ADHDの真実」を読んで。人生への考察と私たち夫婦の行動の違いの背景
アンデシュ・ハンセン著 「多動脳 ADHDの真実」を読んだ。彼の著書「スマホ脳」が長くベストセラーとなり、話題となって書店で平積みされているのは知っていたが、スマホに長く依存している人間として、自分が否定されるのではと怖くて手を出していなかった。
だが新聞広告でこの著書が新刊として発売されたと知り、すぐに注文した。私の夫はどうやらなんらかの発達障害を持っていると認識したのは2年ほど前のことだが、今も生活のあらゆる場面で不思議な行動を取ることがあり、その背景の理解と解決策の検討に役立つだろうと思ったからだ。
結果、読んで本当に良かった。読んで夫がかなりADHD特性の強い人間だということがよく理解できた。それだけでなく、これまで夫と出会ってから12年、ずっと理解に苦しみ、不思議だったあらゆる夫の行動と思考に納得がいき、これからどのような生き方を夫婦でしていけば良いかがクリアになっただけでなく、私自身はおそらくADHDとは真逆の癖の強い脳の特性を持っていて、そのせいで人生で生きづらい部分が多かったのではないかということも合点がいった。
ここからはネタバレが入る部分がある。
著者の説明では、ADHDと言われる特性の人は、多くの人が「通常の人」と異なる脳の報酬系の特性を持っているという。報酬系が鈍く、普通の人なら活性化されるような出来事でも活性化しない。そうした人には、世界のあらゆることがつまらなく、退屈だそうだ。そのため、報酬系を活性化してくれるものを絶えず探し回るらしい。だから学校の授業で先生の話を集中して聞けずに、周囲の物音が気になってしまうし、他人が話している途中でも別の興味を見つけて、違う話を始めるそうだ。しかも「通常の人」が持っている、脳の中の情報の「フィルタリング」の働き方が鈍く、「通常の人」が気にならない刺激に反応してしまう。
ADHDは現代では「発達障害」として精神科で投薬の治療の対象となるが、進化の歴史を考えると、狩猟採集民族だった人類の長い歴史の中でかなり優位な特性として生き残った形質だと考えられるという。獲物のかすかな物音にも瞬時に反応できるし、危険な敵が迫ってきた時には逃げ出すことが出来る。しかも、ハイパーフォーカス特性という特性もあり、報酬系が一度刺激されると、すさまじい集中力とパフォーマンスを発揮する。彼らは、狩猟採集民の時代は、一族のエリート選手として、大型動物を仕留めて大きな貢献をしてきたことだろう。常にあらゆる刺激が脳に入るために、いつでも多様なアイデアが浮かぶ創造性の高さも特徴だという。
一方、農耕の時代となり、学校・会社・国家・組織、という近代社会の枠組みの中で、こうしたADHD特性が必ずしも優位な特性とならなかった。学校で席に座って先生の授業を聞き続けること、毎日会社に行って日々のルーチーンワークをこなすこと、計画的にスケジュールを立てて来年再来年、将来に向けた備えを検討することには、狩猟採集民の脳には退屈すぎたし、適していなかったのだという。現代の社会のあらゆる仕組みが、彼らに全く適合していなかった。
初めて出会った時から、夫は私にとって、未知で不可解で予測不可能な生き物だった。高校卒業後に自宅のクリーニング店手伝い、製造業、警備員、農業、介護士…という一見ランダムに職を転々する激しい人生も不思議だったし、普段から無限に(くだらないものから面白いものまで)ジョークや替え歌を思いついては急に歌いだすことがあるのも、面白いけど不思議だった。また、やたら世界の神話や、歴史や、近代の大きな事件など、教科書に載っていない雑学的な教養の高さを持っていた。彼は、出会った時から、夢は小説家だと言っていた。自分の作品で世の中の生きづらい若者たちを奮い立たせる作品を書くのだ、と。ベストセラーになったらどれだけ稼げるかな、と今でもよく話す。実際はまだプロットすら書き始めてもいないのに…。生き方も日ごろの言動も、夢の描き方も、全て、私には努力しても出来ないことで、なんて面白い人なんだと思った。
一方、彼は幼少の時から生きづらさを抱えていた。3人以上いる会議など話し合いの場では、音やそれぞれの人の発言どれに注目したら良いかが分からず混乱し、しんどかったらしい。幼い頃には特に「多動だ」と言われ、常にそわそわしていたそうだ。また、人混みを歩いたり、車の多い道の運転を激しく嫌がってイライラしていた。おそらく、刺激が多すぎて混乱するのだろう。今でもイライラすると貧乏ゆすりをする癖がある。
かつて、農業と介護の仕事(ルーティーン作業よりもその場の対応力の高さが求められる仕事だろう)はしばらく継続していた。しかしその後、IT系の企業で会社員として仕事をした際は、当初は「チャレンジングなことで楽しい」と言っていたのに数カ月すると、「なぜ俺がこんなタスクをしなきゃならんのや」や「上司がOJTを適切にやってくれず何をしたら良いか分からない、辛い」と言って無断欠勤の末にいつの間にか退職していた。その時には重度の鬱症状を発していたが、ある程度鬱症状が回復しても、何か月経っても就職活動をしようとしなかった。やる気が出なかったらしい。私だったら2カ月もすれば仕事がなければ不安で不安でいても経ってもいられなくなるだろうが、彼は平然と家でゴロゴロしていた。
その状態が3年続いた。見かねた私は、彼の夢である執筆業ができるよう、クラウドソーシングに登録したり、青色申告届を税務署に出したり、収益性を狙えるブログを立ち上げたり環境を整えたが、彼は少しするとどれも情熱を失い、続かなかった。なのに、彼はずっと「偉大な小説家にいつかなるんだ」という豪語ばかりを続けた。私には彼のことが全く理解できなかった。せっかく次々と面白いアイデアが浮かぶ才能を持っていながら、どうしてこんなに怠惰で努力ができないダメな人間なんだろう、と正直なところ思っていた。
でも、違った。彼はこの本で紹介されているあらゆるADHDの特質を持っているかなり純度の高いADHDのようだった。彼にとって、毎日同じような作業を繰り返すことは、耐えがたい苦痛で、ブログ閲覧者を増やすための地道なSEO対策をするための報酬系なんて、到底作用しなかった。発注者の注文通りの文章を書くことすら退屈になってしまったのだ。「通常の人」なら、多少つまらなくても「仕事なんだから仕方がない」とやれることも、彼には苦痛すぎた。彼の脳に現代の、「仕組み通りに働いて、生きるための糧を得る」こと自体向いてなかったのだ。努力をしていなかったのではない、そもそもプロセスを一つずつ積み上げていくという彼にとって退屈すぎる作業ができなかったのである。話しているとたまに驚くほど論理的な分析をして、博学で知識欲もありそうなのに、彼が大学に行かなかったのも、受験勉強をしてテスト対策をすることが死ぬほど退屈すぎたのだろう。
一方、私は彼がこまやかな気遣いができる人間であることに気が付いていた。私が重たい荷物を持っていたら2秒後には彼が手を伸ばして代わりに持っているし、私が何か物を落としそうになると「危ないよ」と言って助けてくれた。私にだけでなく、電車で少し近くに高齢の方が来るとすぐに気が付いて席を譲るし、以前父の介護を手伝ってくれた時は、その場にいた誰よりも早く父が何かに困っていることに気が付き、手を貸した。優しい人なんだな、と思っていたが、おそらくこれも彼が常に周囲を無意識にきょろきょろ見回していて、変化に気づきやすい人なのだろう。
彼はまた非常に手先が器用でもあった。あらゆる工作が得意だったし、料理も細かな千切りやみじん切り、火加減を見ながら上手に手先を動かす必要のある卵料理の完成度も高かった。スマホの画面フィルムを気泡を含めずに貼ったりするのも得意だった。周りをきょろきょろ常に見ているので細かいことに気が付くし、興味が向いたら高い集中力を発揮した。
逆に、旅行などで花や建物や山、美しい景色を見に来ても、3秒後には退屈そうな顔をして「そろそろ帰る?」と言い出すので、私は「ようやく着いたばかりなのにどうして!?楽しもうよ!」と毎回彼に言っていた。彼にとって、動かないものは刺激が少なすぎてじっと見ていることに対し、報酬系が満足しないらしい。料理は上手なのに一人でいるとほとんど全くやらなかった。モチベーションが湧かないらしい。
この本で言うADHDの特質のとおり、彼は驚くべき、尽きることがなく湧き続けるアイデアの源泉の持ち主だった。ほっておいても何の苦労もなしに無限に次々と面白い物語が彼の中から生まれ、思いついた瞬間、しょうもないものから突拍子もないものまで、物語を語ってくれた。一度、長編小説を書き終えて、新人賞に応募したことがある。毎日朝から晩まで、まさにハイパーフォーカスといえる集中力でパソコンに向かって文字を打ち続け、数カ月で書き終え、投稿した。確かに彼の文章は人を惹きこむ力を持ち、アイデアは斬新で、初回にも関わらず2次選考まで通過した。しかし、最終選考に残らなかったのは、いわゆる「小説の書き方手順」でよくあるプロットを作らず(彼はそれまでに「小説の書き方」というマニュアル的なものを一度も読もうとしなった)、湧いて出たアイデアを全てつぎ込んだために、情報量が多すぎたし全体のまとまりがなかったのだと思う。私も読んだが、短い場面展開の中でたくさん人が死に、残酷で過激な描写が多かった。また、人物の言葉の掛け合いや描写はとても生き生きしているのに、風景や周囲の描写が全く出てこなかった。今なら納得がいくが、おそらく、彼にとって「面白い小説」というのは、これほど過激なものでなければならなかったし、普段から動くものには興味があるのに風景や静物に惹かれないことが文章にも表れたのだろう。
残酷なほどにこの世界は、彼向きではなかったが、確かに彼には才能があり、パワーがあり、揺るぎない夢がある。彼は、成し遂げるために計画を立て、プロセスを踏むことは驚くほど苦手だが、誰かがそれをサポートすれば成功できるし、やりたいことができるだろう。そして、私は彼にとって苦手なことが全て得意であることに気が付いた。成し遂げるべき目標のために長期の計画を立てること、起こるかもしれないリスクを回避すること、そのための一つ一つの地道なプロセスを踏むこと、全て私が一番得意なことだった。
ADHD特性の強い人が、外部刺激へのフィルタリング機能が鈍く、どんな刺激にも反応してしまうのだとしたら、私は正反対の特性を持っていることに気が付いた。フィルタリング機能が高すぎる。
幼い頃からか、私の中には気が付いたら、常に大目標があって、それは「人生の中で、困窮や貧困状態にならないためにリスクを極力回避すること」だった。そのためには、かなり何でもした。つまり、その実現のプロセスの一つ一つの達成に脳の報酬系は大きく作用した。リスク低減のためには良い大学を出ることが効率的だと思ったので、通える範囲で一番大学進学率の高い高校入試に受かること(そのために定期テストでは学年で必ず1番を取ること)、出来るだけ良いと言われる大学の大学入試に受かること。他にも、TOEICで900点以上取ること、就職試験対策、転職の面接対策のために企業情報を緻密に読み込む、さらに老後にまで賃貸の家賃を払わなくとも住まいを追い出されないように一番税制優遇が高く、自分の資金のリスクの十分余裕の範囲内で住宅を取得する計画を立てること。どれも地道で緻密な作業と念入りなプロセスの構築のいる事柄だが、一つ一つのマイルストーン達成事に、思い返せばめちゃくちゃ楽しかったし、だから私はそのプロセス達成に執着し、達成感があった。この社会の枠組みの中で、自分の持てるリソースで何を手に入れるのが「リスク回避」に最適なのか考えることばかりしていたし、振り返ると実際そのために私の取った行動と決断は、結構良い結果をもたらすことも多かった。
一方で、その大目標と、それに至るまでのプロセス達成に「資さない」と私が判断したものは、日常生活においてほとんど全てノイズだった。幼い頃から母は私に、バレエ、ピアノ、水泳、書道、バレーボール、絵画教室、テニス教室、あらゆる習い事を試したが、何一つ長く続かなかった。私はいつの間にか「人生の役に立つと思えない」と感じていて、その姿勢で取り組むので当然上達もしないし、面白くない。時間が無駄だ、といって全てやめてしまった。中学の部活も、高校の部活も、途中で辞めた。さらに、学校で同級生が楽しんでいる芸能情報や漫画やドラマやバラエティやスポーツの話題も、つまらなかった。見ているうちに「自分の人生の何の役に立つのだろう」と感じて何もかもつまらなくなった。しかも悪いことに、そうした話題で盛り上がっている同級生たちを見て、なんて時間の無駄なんだろう、と内心、若干軽蔑していた。集団行動も苦手で、女子複数人がグループで行動すると、自分の興味のないことに合わせないといけない場面が多く、時間の無駄だと感じてしまい、つまらなくなっていた。そんな様子なので、当然ながら、幼い頃から友達が少なかった。大学生や社会人になると、飲み会の場がある。私にとって最も苦痛な場の一つだった。もともと極度に酒に弱い体質なので、酒を飲んでも楽しい気分にならないし頭がぼんやりするので、終わった後もやりたいことが思い通りにできず、合理性がないと思っていた。そのうえ飲み会の場で、酔っ払いたち(私は酒をほとんど飲めないので酔えない)の会話は、大抵あんまり有用な情報ではなく、正直なところ時間の無駄だと思った。このように、私の「目標達成」に無関係なものは、何も面白くなかった。
気が付いたら、「趣味は何ですか」と聞かれていつも答えることに困っていた。「趣味」といえるほど何かを続ける前に、私の興味フィルターから弾かれてつまらなくなってしまうし、かといって資格試験の勉強も趣味だからしているというほど、コツコツ勉強を続けるのが好きなわけでもなかった。実際、「自分の人生に直接的に資する」とジャッジできた資格以外の勉強は、まったく捗らなかった。
幼い頃から対人関係に悩んでいた、というか価値観を同じくする人がいなかった。両親がリビングでつけているバラエティやドラマのテレビは、全く時間の無駄だと思い同じ空間にいるのが苦痛だったし、どの集団に行っても盛り上がっている話題を一緒に楽しめなかった。
また、私は幼い頃から異常なほど不注意だった。報酬系の視点で見てみると、日常の多くのことがノイズとしてフィルターの外にあり、細かな刺激を無意識にほとんど無視していたんだと思う。大学生になっても何もない道でよく転んだし、社会人になっても食事をしていて服によくこぼす。スマホや自転車のカギの置き場所をよく忘れる。狩猟採集の時代だったら、真っ先に敵に食われるか獲物を得られずに死んでいただろう。しかも幼い頃からめちゃくちゃ不器用だった。折り紙もきれいに折れないし、中学の技術の時間ではラジオもどきの組み立てを完成させることができなかったし、家庭科の時間ではミシンの扱いがクラスで一番レベルで下手だった。細かな作業に必要な注意力がなかったし、細かな作業は私にとって非常に「めんどくさかった」。ちなみに、体育は最悪だった。不注意だから、一つ一つのどの動作もうまくできないし、球技や跳び箱を上達することが人生において「資する」と判断できなかったから、努力のモチベーションもない。楽しくないので、ルールも覚える気がない。体育の通知表で3以上がついたことがなかった。
しかし、体育ができなくても手先が不器用でも、大人数での他人と人付き合いが楽しくなくても(確かに高校生まではつらいと思うことも多かったが、少なくとも大学進学以降は)農耕時代以降のこの世の中は、幸運にもわりと私の特性に向いていた。大学では自分やりたいこと、価値をおけることにフォーカスした活動ができたし、日本の社会では、大学名が就職に有利に働いた。転職活動は傾向と対策のコツをつかむと上手くいった。また大きな組織に就職すると、長期的ビジョンを持って次にどんな行動を取るか、どうすれば効率化できるかが重視された。じきに、私自身がとても会社員向きであることにも気が付いた。与えられた仕事で最大限のパフォーマンスを発揮するように着実にタスクを繰り返して進捗をしていれば、評価もされるし、自動的に厚生年金が積み立てられて老後のリスクも低くなる。自分自身で誰もやっていない差別化できる突飛で新しいアイデアをつくらなくても良いし、大きな組織の名刺を持っているだけで周囲からは一人前ぽく認識される。とても合理的なこの働き方が気に入った。
社会の仕組みにはかなり適合していながら誰とも気が合わなかった私と、社会のあらゆる枠組みに不適合すぎた夫、おそらく両極端の脳の特性を持っている私たちは意外なほど相性が良かった。当然、興味は同じではない。彼は世を騒がせるスキャンダルや下世話な話題を知るごとに、関連情報を収集することに執着するが、私にとっては自分の人生に関係ないノイズなので興味を持てなかった。彼は刺激の強いホラーや殺人場面の多い映画を好むが、余計な刺激が多すぎるとノイズだと感じてしまう私は穏やかなハッピーエンドの映画を好んだ。それでも、毎日一緒に過ごすと、多くのことがうまくいった。
私は自分の立てた計画と合わない他人の予定に合わせることにストレスを感じるが、彼はそもそも計画を立てないので、なんでも私のいうとおりに素直に従った。私の人生のサブ目標である「生きているうちにこの世界でやったことのない経験をたくさんする」を充実させる旅のプランや休日の行先は、彼一人だと到底計画を立てる段階でやる気の起きないものだが、予定を立てて一緒にいけば、経験したことのない音・視覚のあらゆる刺激は計画した私よりも彼のほうを楽しませることのほうが多かった。出かけた先で、私は木と花と風景を見て楽しみ、彼はそこに来た鳥を見つけて興奮した。初めての場所の段差で私が不注意で躓く前に、彼は気が付いて手を差し出して助けてくれた。旅行が終わると二人で「楽しかったね!」と満足した。
私が人間関係や仕事に行き詰っていることを話すと、思いつかない視点からのアイデアの提案をしてくれ、状況が改善することが多くあった。彼は私が思い詰めているときに私自身では到底思いつかないジョークを急に言いだし、笑えたことで私は何度も救われた。
自分一人では料理をするモチベーションが湧かない夫も、私と一緒に夕食を食べるためだと料理をすることができた。料理をしだすとみじん切りも千切りもフライパンでの加熱も楽しいらしい。私が不器用すぎて「めんどくさい」とする、包丁と火を使った作業は夫がやった。私は横で、次にどんな行動を取れば最短の時間でキッチンが片付くだろうと常に考えながら、夫が散らかした野菜のビニールゴミを捨て、使い終わった大匙・小匙・まな板を洗ったり、次に鍋に入れる調味料を混ぜたりした。二人で料理をすれば、私ができない綺麗な千切りとみじん切りを使った料理が、彼のできない「完成するころにキッチンがきれいに片付いている」と両立した。そうして完成したおいしい料理に二人とも満足した。二人とも料理のほうが優先なので、食卓に酒は出ない。
私が不注意に家の中のどこかに置いてわからなくなる失くしものは、常にきょろきょろしている彼が大体場所を把握していたし、そうでない場合も周囲に注意を向けてばかりいる彼がすぐに見つけてくれた。
組織で働くことが苦痛すぎる夫は、家にいて好きなことをして、私の帰宅時間に合わせて夕食を作ることができた。そのおかげで私は、自分自身の将来のリスクを最小化する会社員の仕事を続け、給料を上げるために最大限のパフォーマンスを発揮する日常が送れた。
都会のエンターテインメントの多くを面白くもなくノイズだと思っていた私と、人が多すぎるところは刺激が多すぎて混乱する夫は、10万人規模の日々の買い物には困らず、交通の便が良く、車で出かけるにも駐車場代を取られずストレスがかからない小さめの自治体に家を買って二人とも大満足している。
我が家ではテレビは朝夕のニュースだけがついている。私は仕事に必要な情報収集ができるし、夫も日々のニュースの内容に関心を持った。バラエティ番組は夫にとって騒がしすぎたし、私にとっては不必要なノイズだった。ドラマは夫には楽しむには刺激が足りな過ぎたし、私にとってはやはりノイズだった。
私たちは二人とも基本的に部屋の片付けをしなかった。私は床に脱いだ服やちり紙が落ちていても、人生に大きな影響がないからと気にならなかったし、掃除機をかける単調な作業にモチベーションが働かない夫も掃除機をかけなかった。しかし、二人の苦手分野はロボット掃除機が解決した。時間になると勝手に掃除を始めてくれるロボット掃除機のパフォーマンスが最適化するように、二人とも最低限落ちている大きなものを時間までに拾うようになり、朝からごろごろYoutubeを見てしまいがちな夫もロボット掃除機の大きな音に急かされて他の作業をするようになった。部屋はいつもきれいに保てるようになった。
私は両親や兄弟、これまで出会った他の友人たちの他の誰と一緒にいるよりも、彼といることで自分のやりたいことが実現でき、しかも私の足りない部分は全て彼が補ってくれ、自分一人で実現できない充実した暮らしをできるようになった。
そして、「リスクを最小化すること、そのプロセスの達成」を生きがいにしていた私には昔からいわゆる「将来の夢」がなかった。周りの子供たちが、保育士さんになりたい、学校の先生になりたい、研究者になりたい、あるいは幸せな家庭を築きたい、と夢を語る中で、どれだけ考えても私の中に「夢」あるいは「実現したい自分の姿」はなかった。たしか中学一年の頃、文集的な冊子に「将来の夢」を書くコーナーがあった。周りの子供たちが具体的な職業を書いている中、私はどうしても思いつかなかった。数日間、ずっと考え続け、これだ!と思って書いたのは「お金持ちになりたい」だった。別に豪邸に住みたいわけでも、何か買いたい高価なものがあるわけでもなかったが、私にとって、いつか将来貧困に陥ることが最大の恐怖で、そのために自分が何がしたいかと当時考えたら、お金をちゃんとたくさん稼ぐことだと思った。すごく考えて書いたのに、学校の先生(昔から教師になりたいという「夢」のあった人間だろう)からは「ここはそういうのを書く場所じゃないんだけどな、そのためにどんな仕事をしたいのかを書くんだよ」と指摘され、それを横で聞いたクラスメートの男子から笑われた。私は本当に将来なりたい像がなくて、すごく悩んで考えて出した結論だったのに、とても理不尽だと思った。リスクを最小化するための職業なんて、私にとって正直何でも良かった。
私は多くの人が持っているというらしい、「幸せな家庭を築きたい」というビジョンも当然昔から持っていなかったし、結婚して親族から「幸せな家庭を築いてね」と言われた時ですらピンとこなかった。彼と結婚したのは、上述したとおり、他の誰といるより彼といるときに自分が楽でいられて、しかも良いことがたくさん起きたのと、しかも人生のリスクをより最小化すると思ったからだ。扶養控除、国民年金の第3号被保険者制度、扶養手当、そして自分が死んだ後の相続税の配偶者控除まで、現代日本の制度において配偶者がいることは圧倒的に有利だ。それでも、結婚を前提に関係を保とうと彼と言ってから実際に結婚するまで何年もかかった。私のモチベーションは常にリスク低減なので、会社員として働かない彼と結婚することのほうが人生のリスクが低くなる、と私の中で決定の判断を下すのにとても長い時間を要した。彼が私の父の介護を「俺ならやれるよ」と言ってくれたとき、初めて自分の中で迷うことをやめた。彼はこれから先も人生で必ず私を助けてくれる、と確信を持った。
その判断は誤っていなかった。不注意で不機嫌な私の人生は、彼と一緒にいることでずっと楽しく、安心できるものになり、充実した。その理由が今まで分からなかったが、この本を読んで納得した。彼は人生をADHDで困っていて、私はその正反対で困っていた。無意識に私たちは、相手の苦手な部分(それは大抵自分にとっては大した手間でもストレスでもない)を補い合い、日常生活で非常にうまく働いた。これからもそうして、楽しく生活できれば良いなと思う。
彼の夢である「偉大な小説家」になるための緻密なプロセスの明確化は私が手伝い、必要な手続きは私が手伝おう。なぜなら、彼が毎日を楽しく、健康に過ごしてくれることは私の人生のリスク低減にも資するからだ。彼のアイデアの泉は私には信じられないくらい無限大だし、必要なプロセスを踏めば本当に成功すると思う。私はきっと会社員としてこれからもそれほど難なく仕事をこなすだろうが、偉大な何かを成し遂げることも多分ないし、それは私の求めるものではない。将来まで辛い目にあう大きなリスクを回避し続ければ、それでいい。
ちなみに、最近は子供を持つことがどちらかというと人生のリスクの回避につながるのではないかという考えが浮かび、迷っている。家を買い、将来のローンの支払いの見通しも立ち、給料も少し上がったので経済的な不安がある程度解消した。次の私のリスク回避大作戦は、私が急に不注意で交通事故かなんかで死んだら、夫はどうやって生きていくんだろうという懸念だ。彼のためにローン団信で家は残せるし、生命保険にも入って当面の生活費も工面できた。しかし、誰も家にいないと夫はすぐに日々の生活のモチベーションがなくなり、数カ月で食べることも風呂に入ることもせずに死んでしまうのではないかと思う(冗談ではなく本当に)。子供が一人でもいたら、私が遺した大事なその子供のために、一生懸命生きてくれるのではないか。
他の人が聞いたら驚くかもしれないが、そのくらい私の中には「素敵な家族像」「母親になりたい」という「将来の夢」は存在しなくて、子供を持つという選択をするとしたら、この「リスク回避」が最大で唯一のモチベーションだった。客観的にそんな風にしか思考できない自分が可哀そうな気もするけど、そんな脳に生まれてしまったのだから、仕方がない。きっとこれからも私はこうして生きていくし、私の隣にいる夫もそれで満足していれば、これでいい。
とりいそぎ、私の人生大作戦の次の一歩は、夫をYoutubeの画面から引き離し、運動習慣をつけさせることだ。ADHD特性の人は体を適度に動かすことでドーパミンが適切に放出され、良い集中力を保てるようになるらしい。彼を見ていると本当にそのとおりな気がする。一昨日、早速彼にApple Watchを買い与えて、自動的に(そして刺激的に)運動を促してくれるようにし、彼のiPhoneのYoutubeアプリにスクリーンタイムを設定した。この一つ一つのプロセスを考え、実行するのは私にとってやはりとても楽しいし、この作戦もうまく行くといいと思う。
