#495[エッセイ]心がつかれた時に、手を伸ばしてしまうもの
安心したい、包まれたいという気持ちは、
強さや弱さとは別にある、ごく自然な願い──。
人と誰かが関わるときの、いちばん根っこのところにあるもの。
おはようございます。
今日は作詞をしていたときの、回想です──。
◇
その願いを素直に言葉にするのって、
実はけっこう勇気がいる。
簡単に見せられるものじゃないから。
安心とか、包まれた感じって、
自分の気持ちを丁寧に見つめていくと、
「ああ、私が求めていたのはこれかもしれない」って
ふっと輪郭が見えてくることがある。
多くの人は、それを冗談にしたり、
別の形にすり替えて安全に過ごそうとする。
けど本当は、もっと静かで素朴な願いだったりする。
誰かの心を満たす側にまわるときは、
興味本位でも、承認欲求のためでもなくて、
ただ相手を大切にしたい、という姿勢が必要になる。
それがないと、どれだけ優しい言葉でも、
どこかで “違う” と感じてしまうから。
◇
与えるふりから、安心を守ること
包むふりより、包む責任を引き受けられるかどうか。
その違いは、言葉の表面じゃなくて、
相手の揺れや弱さを怖がらずに受け止められるかどうかに出る。
安心したい、包まれたいという願いを満たすには、
やっぱり心の成熟が必要になる。
だからこそ、誰とでも成立するわけじゃないし、
その違いを見極めることは、自分を守る力にもなる。
◇
軽やかさやユーモアを書こうとすると、
これが意外とむずかしい。
軽さは無責任さとは違うし、
ユーモアは茶化すこととは違う。
どちらも、自分の中心が揺らいでいないからこそ持てる余白で、誠実さや丁寧さ、境界線の感覚が根を張っているから、その上に “軽さ” や “遊び” がのる。
言葉の重さを知っている人の軽やかさは、
ただ明るいだけじゃなくて、
ふっと空気を和らげる力になる。
ユーモアも、相手を傷つけない種類のものを
自然に選べるようになる。
軽やかさやユーモアは、
自分を守るための鎧じゃなくて、
人と関わるときの“呼吸”として持っていたいな、と思う。
<了, 約 810 字>
あとがき
前にどこかで書いた記事のリライトです。
1,000字を切りたかったのです。
短く、おもしろくってむずかしいですね。
今日も元気に、行ってらっしゃい!🙋♀️


ありがとうございました🙂
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