#412[エッセイ]気もちを言わなかったあの人が、鎧の奥にしまったもの
本当は言いたかったのに。私たちはなぜ、感情を言葉にすることを諦めてしまうのでしょう。
いつの間にか感情は、情緒不安定な天気予報か、はたまた、ワイルドカード? 心の秩序を一瞬で壊してしまうものとして、扱ってしまうことがありませんか?
感情で話すことを、避けるようにしてきた習慣は、誰しもあると思います。
「そこは、わきまえて……」
わかってはいても、契約内容や与えられた役割よりも、肌感覚を優先したくなること、ありますよね。
普段は「すべて論理で説明できる」「掌握している」と思っても、急に脆さを露呈する、なんてことも。
激しい「感情の波風」に脅かされてきた人、
「論理の鎧」を着ることで生き延びた人のお話です。
鎧に守られた世界観では、苛立ちや怒り、愛や悲しみでさえも、そうした深い感情は、一瞬で秩序を破壊し、自分を無力な状態に戻してしまうノイズ、
あるいは衝撃波となることがあります。
けれど、その鎧の奥にある願いは、
もっと静かで、素朴なものかもしれません。
だからこそ、本当に切望するのは、
「心の安息と、無条件の受け入れ」という、
根源的な願いなのだと思います。
それは言わば、予測不能な、人の感情そのものが
一切排除された「静寂と秩序の世界」です。
自分の不完全さ、弱さを、誰からも責められずに、
そっとそのままにしておいてくれるような、
温かい居場所を、切望することがあります。
仮に、正しくなくても、「ただそこにいるだけで良い」という、存在そのものを、みとめてもらえること。
存在を、知っておいてもらえること。
論理の鎧の奥底で、本当に温めてほしかった、
いちばん素朴で、人としての自然な要求のはじまり。
私たちもまた、どこかで感情の波から逃れようと、
論理や正しさにしがみついてしまうことがあります。
信用とは、相手の完璧さを信じることではなく、
自分の心が揺らいでも、
「この相手となら誠実に向き合える」という、
自分自身の内なる強さを信じることでもあります。
あなたの大切な人が、鎧を脱ぎ捨てて、
心から安らぎを見いだせる日、
穏やかな光に包まれる日を、そっと願うのなら。
いまなすべきは、世の為人のため、
たった1人の大切なひとのため……?
それとも、言えなかった気もちと一緒に、
またどこか遠くに行ってしまうの……?
鎧の隙間から、ほんの一瞬だけ。
月の光に照らされて、思わず見てしまった、
だれかの、ほんとうの心のお話でしょうか。
<了, 約 1,000 字>


おやすみなさい、楽しく過ごせますように😊
それではまた、次の記事でお会いしましょう🌟
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