今年聞いた音楽たち〜2025年〜
はじめに
今年は、あまりレコードを買えなかったなというのが率直な感想で、それは諸々あって金欠が続いていたためなのだが、それだけ手元に置いていたかった作品を見送っているということでもある。フィジカルで欲しいなという作品は多くあった。サブスクのいいねじゃ足りないくらいの愛を抱えたい作品がいくつもある。
今年聴いた音楽なので、新譜に限る訳ではないが、いくつか記憶に新しいものを振り返っていきたい。2025年を支えてくれたアルバムたち。
Memorials 『Memorial Watersliders』 (2024)
浮遊感のあるアルバムで、それでいて主張強めの激しさも持っている。考え事で頭がごちゃごちゃしてしまう時によく聴いていた。けったいな日常がから引き剥がしてくれる音楽。Yo La TengoやPink Floydを連想させる。そして、気分はリンチ監督の映画を観ているような。人の頭の中は、幻想でいっぱい。そして、全てが自分の意識を通してスクリーンに映し出されているに過ぎないのであるとしたら、どうせどうにもならないなと割り切れてしまいそうになる。
Youth Lagoon 『Rarely Do I Dream』 (2025)
これもまた映画的なアルバムだった。時折、挿入される台詞のような声が尚更そう思わされる。日常の流れの中にひっそりと悲劇性が漂っている。東京に住んでいても、時折地方のシャッター街を連想する風景に出会う。ああ、ここも消えかかっているのだろうか。たくさんの人の魂が触れた場所には、今誰もいなくてもそこに見えない何かがあるを感じさせるエネルギーを感じる。とても悲しくて、今に生きていることが寂しくなるような。過去に堆積したストーリーが混ざり合い、建物の合間でそよ風に漂っているような。
サザンオールスターズ『Thank You So Much!!』 (2025)
テレビでバンドを見ることはぐっと減った。ドラムやベースが生で演奏されていることはほぼ見ない。そもそもバンドという形態が、大衆音楽の鳴る場所において絶滅危惧種なのかもしれない。
サザンも随分デジタル化してしまった。だけど、変われないバンド魂も残っていて、それが新譜の節々にも表面化している。今を生きようとしながらも、変わりきれない生々しさを感じ取れると、ああこれで良いのだなという安心が得られる。毎日のように名前を聴く大谷翔平はともかく、Iggy Popのことは一生忘れない。
Iggy Pop 『Lust for Life』 (1977)
Iggy Popが日本に来ていたが、いろいろと慌ただしく観に行けなかった。パンクを一万円払って観に行くというのも、何だか矛盾めいたものを感じただろうから、まあ良いかとも思える。物価も含め、日本の政治状況の混迷極まりなさは、時代が進んでいるのか、逆戻りしているのかよく分からない空気をつくっている。
行きずりで人生を送れたらどれだけ楽だろうか。私たち現代人は、いろいろと背負い過ぎているし、この年代のパンクを聴いていると随分ねちっこい一生を強要される時代だなと思う。何でか、年末アリ・アスターの映画を観ていたらこのアルバムを思い出した。もはや過去となってしまったものへの憧憬。未来が明るくなるには、どれだけの時間がかかるだろうか。
星野源 『Gen』 (2025)
昨年末、何となく紅白を観ていたら、星野源がむつかしい表情をしながら弾き語りをしていた。孤独を和らげてくれてありがとうと言いたい。源さんも辛そうだった。今年の新譜もとても良かった。日本ポップス界の良心、と言ってしまうにはダークさも多分にあるのだが。とにかく、源さんは私たちの孤独をそっと撫でてくれる優しさを持っていると信じている。苦しい生活を、ちょっとでも何か創造的な工夫を凝らしながら、やり過ごしていく。音楽もそんな一工夫の営みの一つだと思う。音楽があって良かった。今年も年を越せそうで良かった。
