令和六年 十一月 【天印】モーセ 新原 玉城 天武 ミーガーモー
モーセ
沖縄へ向かう前、🐥さんが唐突に
モーセのドラマ?の動画を再生していた。
私は、白 シロ という箱に繋がっている。
そのことについて、意味が分からず調べた際
モーセと契約の箱の話が出てきたことがある。
その時はそれ以上、分からずにいたが
モーセの動画を見せられることにより
おおまかなあらすじが頭に入ってきた。
かなりの衝撃だった。
これが琉球に何か関係あるのか?
行く前に見せられる意味があるのか?
この時は、全く不明だった。
新月朔日の調印式
伊平屋から戻り、11月を迎えた朔日
明け方夢をみた。
子山羊
大きな岩でできた水鏡
薄暗い岩肌の前に、はじき(タトゥーのようなもの)が
たくさん入ったおばぁが座っている。
両脇には、若い女性が二人。
三人とも、白い衣を着ていた。
子山羊はあきらかに生贄にされるのだろう
捧げ物だ。
モーセの動画と重なる。
水鏡には月が映っている。
おばぁの前に、私が座ると、おばぁの手が額に伸びてきた。
その瞬間…
これは契約だ!
一度契りを結べば絶対に逃げられないのだ。
と悟り、瞬時に怖くなり一目散にその場を走って逃げだしてしまった。
追っては来なかった。
その後、伊平屋でポロポロと泣いた浜の景色がみえ
そこには、横に線が1本、その下に卵のような右側には点がない文字がみえた。
うつくしい日が燦々と輝いていて、とにかく気持ちのよい夢だった。
実在する漢字ではないが、これは何だろう。
起きてから考える。

横の一本の線は、天を意味する。
その下の文字は印にみえた。
天印…。
天印とは何か。
調べると、下記3つがでてきた。
天に押した印。月のこと。
天の川
天皇の印
🐥さんにも聞いてみると
死という文字に見える。という。
なるほど。そういう考えもあるのか。
夢は、とても気持ちがよかったので、不吉な何かではなかろうという気持ちだった。
また、おばぁの夢は調印式にみえたので
調べると、ノロの就任式は満月の夜、水鏡に月を映すのだという。そして、作った団子のようなもので
額に印を押すそうだ。
夢をみた日は、満月ではなく新月だった。
不思議なものだ。
自分としては、逃げてしまったことがショックだった。
神前で誓いを立てたはずなのに
潜在意識の上ではまだ覚悟が足りなかったのだろう。
生と死は隣り合わせで双方が共に大切だなぁ。と
身に沁みた。
カーリーとシルクロード
別の日、夜眠る前に恐ろしい顔が現れた。
水色に塗られた顔面。ベロンと出された舌。
ファニーフェイスだが、不気味な顔だった。
何今の…。
誰…?
水色の顔とベロンと出した舌を調べると
どうやらヒンドゥーの神のようだった。
カーリーがでてきた。と告げると
🐥さんはさらりとパールバディーではないのか?
と尋ねてきた。
え…ぱーる何⁇
私にはよく分からなかったのだけど
パールバディーというのは山の神の娘らしい。
調べていくと、カーリーとは一体と言われていて
パールバディーは三鈷杵、カーリーは三又槍を持っている。どうやら能の般若のように、普段は朗らかな女性が
何かのキッカケでダークサイドに堕ちると豹変する。
という二面性らしい。
三鈷杵は、槍で人を傷つけぬよう
先を内に向けているらしい。全く知らなかった。
その頃、パキスタン出身の方の話を唐突にきいたり
🐥さんが家で、中国の古墳の盗掘の番組をみていた。
浮かび上がってきたのはシルクロードだ。
なるほど、、以前アフガニスタンの洪水の夢をみた。
何故私がそんな場所の夢を?
と未だに謎だったのだけど、日本人の血を構成するDNAは、当たり前ながら日本国内だけに留まらないのだ。
琉球は特に東南アジアから渡ってきた様々な人種、信仰がないまぜになり独自の形式が出来上がってきたのだなぁ。としみじみ思った。
ノロは、インド仏教のナーガとの契約があるらしい。
一筋縄ではないなー。
すると、ターコイズのような水色や色々な玉の腕輪をつけたおばぁが夢に現れる。
一緒にコーヒーを飲む。
何故か途中でニカッと笑って、カップの上で腕輪の紐をプツンと切る。
そうすると、たくさんの玉がボトボトとコーヒーカップの中に落ちた。
あの玉は、能力(スジ)の象徴らしく
私は、それを分け与えていただいたようだった。
久高島
ついに久高島へ行く日が訪れる。
島で2泊のんびりする予定だった。
直前、台風が近づいてどうなるかと思ったものの
本土に影響はなく、飛行機も普通に飛んだ。
が、那覇空港に到着し、これからまず斎場御嶽へ向かおう。というその時、宿から電話が鳴る。
台風の影響で、波が高くて
今日は船が出るんですけど、明日明後日は出なそうなんですけど、宿泊どうされますかー?
という内容だった。
とりあえず、宿にスーツケースを送ってしまっているので
まず荷物を取りに伺っていいですか?その間にちょっと考えさせて下さい。
とお話して快諾いただいた。
頭の中は真っ白。
どうするべきか。
兎に角、荷物を受け取り久高島は日帰りするとなると
本土に泊まる訳だし、斎場御嶽はきょうじゃなくていいか。
と、一路予定を変更して港へ直行。
その間、取り急ぎ、那覇の宿をおさえた。
島へ渡る船でおじさんに明日明後日の見込みを伺うが
難しいねー。と言われる。
帰りのフライトは変更不可チケットだし
翌日は仕事もあり、旅程を伸ばす訳にもいかないので
素直に諦めて、久高島は日帰りに。
島に着いたら自転車を借りて駆け足で、拝所を回る。
ゆったり回るはずがこんな羽目に…。
途中、唐突に出会った、みるく神=弥勒に感動し
あぁ、きょうはここに来たのだな。と感じた。
その他の御嶽は、立ち入り禁止区域も多いので
外から奉拝した。
随所に過去の抑圧が感じられる。この島から逃れられない人が沢山御嶽にいる。そんな重い雰囲気を感じた。
そろそろ船の時間。と港に向かう途中
豪雨が降ってきた。
港までは10分もかからない地図の表示だったので
急ぎ足で充分間に合うと思っていたが何故か道に迷う。
地元の方に会い、港はあっちですよー!と言われ
にわか雨の中、その方面に走る。
まずい…時間がギリギリになってきた。
雨はどんどん強くなり、スーツケースを引きずりながら、何故か浜にでた。
え…どこここ…。港は?
地図を見ながら、スーツケースを抱え砂浜を走るが
もう息が切れて走れない…。
この船を逃すと次は2時間近く後だった。
頭からずぶ濡れのまま、諦めきれず
必死に歩くが砂に足を取られ、御嶽のような場所にでる。
もう、ダメだ。これ以上走れない。このままここで大の字になって果てたい…。
そんな気持ちになったが前に進む。
三叉路のような場所に出て、道を選ぶが行き止まり。
また、三叉路に戻る。を何度か繰り返し、これはオカシイ。と感じた。
ようやく港が見え船がみえた。
沖縄時間で遅延なら間に合う!
と思ったが、目の前で船はポーーーーー!と音を立てて出航。
無残にもずぶ濡れのまま、スーツケースを引きずり回した後のズタボロの私は港で、ボーセンとした。
あと2時間…。
自転車は返却済、とにかく服が乾かねば店にも入れない。
1時間近く、港の猫を眺めながら衣類を乾かす。
その後、晴れてきた。
さすがに次の船まで港にいても仕方ないので
先程、何度も同じ場所にでた所へ向かう。
そこに何かある。
確信だった。
すっかり雨は上がっていた。
その場所は、神女がイラブーを撮る場所だった。
イラブーとは神聖なる海蛇で、戸愚呂を巻き燻製にして
祭祀に供えられる。
あぁ、龍と蛇の末裔としては、この場所に立ち寄る必要があったのだなと思った。
もちろん島人が大切にされている場所なので
礼儀として、部外者は中に立ち入らない。
外から奉拝した。
そうこうするうち船の時間。
近くでソフトクリームをいただき(めちゃくちゃおいしかった!)雨上がりの港に戻る。
港はキラキラしていた。
港のおじさまが、もう帰るの?はやいなー。泊まって行って夜俺と酒飲もう!と言う。
明後日船が出ないと言われているし、それだと飛行機に乗れない。というと
あー。明後日は出ないだろうねー。でも、長い人生で、一日くらい帰れない日があってもいいと思うよ。と仰る。
確かに!
心がぐらんと揺らいだが、この島からはやく出ないと出られなくなる。
そんな感覚がして、振り切り船に乗った。



















斎場御嶽
久高島を何とか脱出し、斎場御嶽へ。
島であちこちの御嶽で出会ったお父さんと息子さんがいたのだけど、ここでも遭遇しご挨拶をした。
そしてここも首里森御嶽と同じく、泣きそう吐きそうの場所で、最深部に辿り着くと嗚咽…泣き崩れ立てない。
沖縄では、高生まれと表現されるが
御嶽にきてこういった症状がある人は、日常的なのだろう。警備員の方も、特にギョッとしたりせずに見守って下さる。
ひとしきり涙が出たのち
閉場時間、宿も那覇にしたためバスで戻らねばならない。
帰りもまた、先程の親子連れのお二人に遭遇し
ご挨拶。一路、那覇へ戻った。
新原 玉城 天武大主
那覇の宿で、さて明日は何処に行こうか。と考えた時に
南城市にどうしても行きたいと感じた。
そこは、アマミキヨが初めに降りたった場所。
行くなら一泊したい!となり
那覇のホテルにスーツケースを置いたまま、翌朝早朝
最低限の荷物を持ち南城市に向かった。
バスを降りて、いくつかの御嶽を巡る。
昨日までの重苦しさが一転、とにかく気持ちがよい。
中でも新原という場所に足を踏み入れた瞬間
自分が無重力にでもなったようにクリアな気持ちがした。
あまりに驚き地名をメモしたくらい。
ここに部屋でも借りたらとてつもなく気持ち良さそう。
と思いながらしばらく歩いた。
おそらく祖に深い関わりがある地なのだろう。
いくつかの御嶽も光が溢れ、終始、気持ちがよかった。
途中、受水・走水(うきんじゅ・はいんじゅ)という場所を通りかかった。
先客の女性のライダーさんがバイクを停めて拝んでいらした。私も登り、次第に2人で山路を登った。
ノロには見えなかったので、ユタの方ですか?
とお尋ねしたら、そういう訳ではないけど、おばぁがよく山に分け入っては、何か連れてきて吐く。そんな家に育った。子どもの頃は特に興味がなかったけれど、最近気になるようになり、こうしてバイクで回れる限りの拝所を少しずつ回って拝んでいるのだと仰っていた。
途中、気になる薮の先を突き進むと
稲作の祖、天武大主の墓という場所にでた。
天武とは、あの天武なのだろうか。
訳も分からず、その石が見えた途端
とにかく懐かしいような、包まれるような
あたたかい涙が溢れでて止まらない。
斎場御嶽での嗚咽のように、切迫した涙ではなくて
とにかくあたたかい。
ライダーの女性は、私の涙が止まるまで
にこやかに隣にいて下さった。
帰り道は、崖っぷちの薮で
私たちこんな所から来たんでしたっけ?
と2人で笑いながら下った。
道路まで降りてまたバイクに跨る彼女を見送った。
その後、お茶休憩をはさみ、宿にチェックイン。
玉城での夜はすばらしかった。
こんなにリラックスして眠れた夜を知らない。
すべての体内のスイッチが切れたような
心からの休息だった。
朝は鳥の声で目覚めた。
次回から沖縄に来る時は必ず玉城に泊まりたい。と感じた。





































ミーガーモー
玉城で命の洗濯をして
生き返ったように感じた。
フライトまでの時間、小禄にあるノロが御嶽へ向かうための石畳道『神通(カミミチ)』へ向かう。
その後、プラプラと歩いていたら
マンションの脇の一角にある拝所にでる。
ミーガーモーという。
街の寄り合い場的な拝所らしい。
ご挨拶をし拝みをしたところ、とにかく気持ちがよく
肩の力がスパーーーンと抜けて驚く。
ご先祖がどなたかいらしたのだろうか。
質素だが、大好きな拝所となった。
近くに大きな沖縄の一の宮的な社があるが
パワースポットのようにもてはやされていて
ご年配の方が数珠を持って延々拝んでいたのだけど
すぐに逃げなくては危ない!というくらい魔がさしていて、一目散に逃げ出した…。
何でもかんでも一の宮だから参ればいいというものではないな…。と感じた。
恐ろしい。
最後に空港で一杯呑んで直会とした。
新原、玉城と出会うための旅だったなぁ。と感じた。




