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令和八年 二月【祈年】養蚕 鶴と稲

二月四日 立春

篆刻家の先生からのご縁で出逢った日本画家、Aさんのアトリエへ。富士がみえる。

石や泥、動植物から顔料ができていて、それは祈りにおもえ日本画には興味があった。水を加えた淡い色彩。
長い長い時を感じる。

展示されている作品を鑑賞しにいくのもすばらしいが、製作の現場に伺ってみたいのだとお話すると、ご自宅で生徒さんにも教えていらっしゃるとのことで、ご厚意でゲスト参加として伺わせていただけることになった。

ありがとうございます。

朝日が差し込むアトリエは、凛としていて、たくさんの顔料や筆が並び、心地よい空間だった。

Aさんがお茶を淹れて下さり、生徒さんのおふたりと
菓子をつまみながら、のんびりと描く様子を見学させていただいた。

実際に自分でも色を塗らせていただく。
あっという間の時間。

朱が気になった。

帰りは、近くの気になるお社に立ち寄る。

二月六日 鶴と富士

一月から、何度も鶴と富士が気になる。

突然、私の顔をみて、何故か分からないが鶴と大きな猫がみえる。と言われる出来事もあった。鶴はまだしも猫は何だ…?

あかく染まった富士に鶴が二羽。の夢もみた。
赤富士か。

あまり富士を気にかけるタイプではないのだけど
何故だろう。

そうこうするうち、とあるきっかけがあり
石垣島と鶴について調べることがあった。

石垣と鶴に関係はあるのか?
全く不明だったけれど、宮ノ鶴という泡盛があり、鶴の恩返しに関する伝承、飛来した鶴についての記事がいくつも見つかった。

鶴が渡ってくる時があったのだ。
せっかくだから買ってみた。
澄んだ味がする。

二月七日 あかね

明け方夢をみた。

神功皇后 新羅出兵の場面
荒波の船上

海に投げ入れろ
はやく さあ 投げろ

何かがたくさん海に沈んでいった

朱文 あかね の印
かな文字

起きて調べる。

海に何かを投げ入れたのか?

大三輪神を祀り、矛と刀を奉し船と兵を集めた。
住吉三神の託宣によりお腹に子(のちの八幡さま)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡る。

「すべての神に御幣をささげ、わたしの魂を船の上に祭り、桧の灰を瓢箪に入れ、箸、ひうで(柏葉の食器)を多くつくり、みな海の上に投げて渡っていくがよい」

また、戦術においては龍宮の満珠干珠を海中に投げ入れ戦勝をもたらしたとも言われているらしい。珠を借りるため「細男」を舞わせたという説も。あの若宮おん祭でみた「細男」だ。

とにかく、たくさん海に投げ入れたのだ。

あかねとは何か?

新羅遠征の際、茜の根を使って衣を染めたという伝承があった。赤根ともいう。調べるとでてきたのは

大分県、国東…。
京都市、向日神社の御旅所…。
伊勢市、茜社・豊川茜稲荷神社…。

心あたりのある場所ばかり。

もう、ずっと神御⾐のことを考えている。
昨年からずっと続いている。

立春、染料の話をきいたばかり。
茜色の糸が必要なのだろうか。
ぼんやり考えている💭

まだ分からない。

二月七日 雅楽

不思議なご縁ときっかけを頂戴した経緯から
サントリーホールへ。

篆刻家の先生が私を食事に呼んで下さるきっかけとなった楽師の先生が出演される。晴れ舞台を観に。

東京楽所 第19回雅楽定期公演「新春の雅楽」

<第一部> 神楽
  神楽歌 庭火
   庭火本歌: 多 忠純
   和琴:   多 忠輝

  神楽舞 天之産
   創作曲・舞:多 忠輝
   舞姫:   有馬里佳

<第二部> 舞楽
   左舞 平舞 北庭楽
   右舞 平舞 長保楽

敬称略

太安万侶さんのお墓の話と、楽師の先生に纏わる話が
一夜に訪れた昨年、神嘗祭前夜。

その後、きっかけを下さった篆刻家の先生と、何故か総勢八人で多(太)の地を参った。感慨深い。

冒頭の庭火は、多(太)家の方々の演奏。ポロポロ勝手に涙が出続けて止まらず。庭火だけを、きっと八時間みられる。

十一日御饌から和琴が異常に気になる。

雪の日のお舞台、五感を最大限に使いしかと受けとりました。すばらしかった。

二月七日 水天宮 お稲荷さま 御田

その日の朝に遡る。

サントリーホールでその日、御神楽を舞われるのは日本橋の水天宮の宮司さんの家系の舞姫さんだった。

水天宮にお参りに行ってから、雅楽をききに行きたいなぁ。とぼんやり思っていたけれど、何故か足が向かず。

サントリーホールの最寄駅が近づく頃、何故かミスタッチで携帯の地図がひらき、近くの神社が表示された。
降りる駅ではない。

え…。と思い画面をみると
地図を一目みて、何故かどうしても気になるお宮がある。

まだ開演までは時間があり、途中下車。

住所は三田。御田だ。
日向通りと書いてある。これは向日と同じ。

お稲荷さまがそこら中にいらっしゃる。

着いたら雪が降りはじめた❄️
小さなお宮。

お稲荷さまが凛とされている。
裏にお不動さま。手水を手で掬って水をおかけした。

主祭神は天照大神。相殿に水天宮。

文政元年、隣接する久留米藩有馬上屋敷内に、邸内社として領地の九州久留米水天宮から分祀、明治初年に有馬邸が青山に移転する際、御分霊を奉斎。とある。

その後、青山の有馬邸内社が、日本橋蛎殻町の現水天宮社地に移った。と書いてあった。

日本橋の水天宮はこちらが元の地であった。
その日、御神楽を舞われたのは、有馬家の当主で有馬さん。不思議なものです💭

これからサントリーホールで雅楽を拝聴しにまいります。とお伝えした。本殿は工事中のため、写真はナシ。

鳥居の真ん中を一羽の烏が舞い、カァと鳴いた。人間は居なかった。

二月八日 道真さん 雪梅

雅楽の演奏会で、道真さんが遣唐使を廃止されてから
日本独自の雅楽が発展形成されていった。という歴史の話をされていた。

帰ってSNSを眺めていたら、能楽師の友枝真也先生が道真さんのお宮に行かれているのを目にする。

あした必ず寄りなさい。待っているから。と言われたような気がした。

会食の前に、早起きして湯島天神へ。
雪だ。

行くと、その日から梅祭だった。
結婚式にも遭遇し、雅楽が流れ続けている。
あまりのうつくしさに放心。

道真さん。雪梅は、とてもうつくしいです。
これから呑みに行きます。
ご一緒にいかがですか?

二月八日 御心

篆刻家の先生主催のお食事会。
初めましての方も。

たくさん飲んで
たくさん歩いて
たくさん食べて
たくさん笑った

東京に来られる時、こうしてお声をかけて下さる。
お土産をいただくこともある。

年齢も職業も知り合った経緯も、全くバラバラの人たちがこうして杯を重ねる。

誰かのことを考え、ほんの小さな何かを用意する。
その御心を大切にしたい。仰々しいものである必要はない。

人に対しても、神さまに対しても同じ。

酔っ払いの帰り途、楽師の先生がお金ではないよね。その時にできる精一杯を如何に気持ちをかけて丁寧にできるかだよね。と仰っていた。

ほんとうにそう思う。
贈り物は、有形無形を問わない。

さしあげるのも、いただくのも、うれしい。

いただく場合は、ひととき私のことを考えて下さったのだな。という気持ちが、とてもうれしい。

大人になると、職場で毎日顔を合わせるような人を除き
誰かと時間を調整して会う。ということ自体が物理的に難しくなる。

ほんの一瞬、お顔をみてご挨拶できるだけでも、うれしい。

北野白梅町!道真さん!

二月十二日 羽衣

昨年末、一本の糸を大切に扱うということについて、深く考える機会をいただいた。年が明け、さらに針と糸について、とても大切な出来事があり、さまざまな想いを巡らせている。

夢で、繭や掃き立ての日についての啓示が続く。

富士と鶴、大きな猫、石垣島と鶴
これらは何の一貫性もないように思えたが
養蚕と機織が関係しているようだ。

俳句の先輩が、蚕を守る猫神さまを追っていた。
意味のわからぬ大きな猫にハッとする。
猫は鼠から蚕と繭を守る。養蚕地域では猫を飼い丁寧に祀るのだ。

そうこうするうち、旧暦のお正月を前に私が琉球へ行くことを知り、ある方が、沖縄の染織家、上原美智子さんの話をして下さった。

色々と取り計らって下さった上に、資料まで送って下さった。心より、御礼申し上げます。

御自宅の工房で、繭から糸をひき、庭の植物から染色し、織物をされている。その織物は「あけずば織」と呼ばれる。

「あけずば」は沖縄の古語で「トンボ」をあらわし、その羽のように薄く透明感のある手織物、まさしく羽衣だ。

ひかり波打
静かな呼吸
生命と祈り

たっぷりのお茶を召し上がりながら
ゆっくりと、ゆっくりと織られる。

繭は沖縄では、石垣島で年中桑の葉が採れ、育てられているらしい。

上原さんが織物をされるきっかけとなったのは、東京の駒場民藝館であり、お兄さまからの「一本の糸に惚れるような仕事をしなさい」という言葉が大きな支えであったと各所のインタビューでお話されていた。

「一本の糸」
またそこに立ち返っている。

深く呼吸を整える。

二月十三日 鶴と稲

神宮の祈年祭が大好きだ。
伊勢で「次は、祈年祭来られますよね?」と、一月あちこちで言われた。

今年は奉拝できない。

琉球へ行く必要があるらしい。
島に行くときは、覚悟がいる。
誰かに出会うのだろうか。

昨年秋、フライトの価格と仕事のスケジュールを睨めっこして、日程を自ら祖霊に問うたのだけど、私はこちらがいいのですが…。という日程などお構いなしに、今回は、こちらの日程にしなさい。と示される。

その日程では、祈年祭に行けない…💭

代替案を出す。何度もお尋ねする。
それでも、お許しいただけない。

最後は観念して、示された日程で旅程をとった。
それが昨年のこと。

その日程は、よく考えたら旧暦年の瀬、大晦日
あちこちの拝所で、あたらしい年を迎え入れる準備をする大切な日だった。予定を入れた時は気づいていなかった。

海と空は繋がっている。
伊勢をおもう。


翌日から琉球へ発つ前日。
テレビがついていた。

突然目に飛び込んできたのは、またもや鶴…。

もう、許してください。
鶴ってそんなに毎日毎日みるものか?

もうひとつ気付くべき重大なことがあるのを知る。

早朝に夢。田んぼの右側に小さな祠。
そこに白と紫のうつくしい蝶が何羽も舞う夢をみた。
紫の蝶はリュウキュウムラサキというらしい。

その場所には、見覚えがある。
今回の旅の目的地。

その場所そのものが、田んぼなのは知らなかった。
神田なのだ。

稲作発生の地と呼ばれ、前回琉球で、偶然に立ち寄ることになり大号泣した拝所。その地には、鶴の伝承があることを初めて知る。

ある人が鶴の脚に稲をくくりつけ、大陸から稲が渡るよう願った。

鶴が降りたったと言われるその場所に、その人は仮小屋を建て鶴を探し回る。仮小屋というのは、仮であることに特別な意味がある。

そこで行われる神事は、新年の宮中祭祀と同じ「三十三度拝の四方拝」

その場所の薮を掻き分けた道なき道の先にあるのは、天武大主と記された墓

生き別れた肉親に遭遇したかのように、訳もなくうれしくてあたたかい涙が止まらず、一歩も立ち上がれなくなり、居合わせた見知らぬライダーのお姉さんに背中をさすられながら、泣き続けた場所だ。

鶴が稲を運ぶ。
佐美長神社を思い出す。

二月十四日 首里 斎場御嶽

玉城に二泊三日
はやく移動したい所だが、ご挨拶が先。
まず首里城へ。

園比屋武御嶽

龍潭を抜けると、首里城域内に王家の拝所。
旅に出る前にまずここで祈る。

到着のご挨拶。
帰る前にもご挨拶にまいります。

国王の外出時に道中安全を祈願する拝所であり
ノロ最高神女「聞得大君」就任時にも儀式が行われた。

首里城を初めて訪れた時の、吐き気のような感情の洪水はスッキリ消えていた。

こちらはカンカン照り🌞

首里森御嶽は、明るくやさしかった。
拝んでから、行ってまいります。とその場を離れようとするとポロポロ涙がでた。前回のような混濁した感情ではなく、澄み切っていた。

首里森御嶽


お昼の時間。移動が長いので先にしっかり食べる。
島の食事は懐かしい。
芋できた餅を揚げる。
島や家により、味は違うが懐かしい。
母の実家や叔父の家でよく食べさせてもらった。

アダニガー

アダニガーに寄る。
ここは、時が止まったようにうつくしい。

バスの時間まで、ひとりここで。
鳥の声だけ。

生活の中に祈りが混在していて
小さな拝所を巡るのがすき。

城を支えてこられた方々が、生活でも使われてきたのだろう。愛されている。

この箒にも、宿られている。
見た目も何だかかわいらしい。

箒には祀られる場所がある。

その後、必死にバスを乗り継ぎ何とか斎場御嶽へ。
先に寄りたい御嶽や拝所もたくさんあるが、何しろバスなので、これが限界。申し訳ありません。

やはりまだここはしんどい。重い場所だ。
皆、神を求め久高に行く。

斎場御嶽 寄満

ここは、王家のお食事を司る拝所
豊受大御神のよう。

初めて琉球に行った後、満月の夜岩壁の下に坐るノロの夢をみた。それはノロの就任式と全く同じ光景であることを後から知る。

真ん中におばぁ。両脇は若いノロの3名が並んでいた。
香炉も並んでいる。一匹の仔山羊。石の水瓶。

おばぁの両腕にはびっしりとはじき(刺青)が入っていて
目の前に坐るよう促され、私の額に触れそうになった瞬間、咄嗟にに走ってその場から逃げ出してしまった。契約だ。

おばぁは追って来なかった。

心の準備をしておきなさい。と言われた気がした。
その夢をみた日は、朔日(🌚)だった。

きょう、この拝所の前に立った時、あの時逃げてごめんなさい。という言葉がポロッと口からでた。

珊瑚

お白石ではなく珊瑚

斎場御嶽の「三庫理(さんぐーい)」
修繕が進んでいた。

久高を遥拝する場所にある斎場御嶽は、間違いなく琉球を代表する拝所のひとつであるけれど、近年観光地やパワースポット的な扱われ方をしていて、ご案内をされている方が心を痛めていらっしゃるようにみえた。

大切にされていらっしゃるのですよね。

あの島を一歩も出ることができず御柱となった人々のかなしみが凝縮されているように感じてしまう部分が大きく、私にはとても重く辛い場所だ。

伊勢でお会いした方が、知念岬に行ったという話を私にされた。その日はたまたま満月で、その明朝久高島の向こうから日が昇ったのだ。と仰っていた。

本土から東にある久高から日がのぼる。
だから神島と言われ、祭祀が行われたのだ。
だから遥拝する。

渡る時は、橋がかりと同じ。
人ではないエリアに足を踏み入れる。

神さまというのは、皆がにこにこと温かい方ばかりではない。でられない。帰さない。

恐ろしいこともたくさんある。

祀りごとは明るいことばかりではないが、この場所もここにいらっしゃる神さまも人も、みなが日向のようなあたたかな気持ちになるとよいな💭という気持ちで手を合わせる。

いつかここが心から心地よいと思える日が訪れますよう。

二月十五日 新原 鶴と稲

朝起きて、宿で自転車を借り今回の目的地
受水走水に向かう。

新原 みーばる

玉城にある新原
初めて偶然この地にきた時、足を踏み入れて
あまりの気持ちよさに住所をメモした。

ここはアマミキヨの路。
龍家の始祖と、この地には深い関わりがあるようだ。

鶴と稲

受水走水 うきんじゅはいんじゅ

新原のここが、旅の目的地。
特に有名ではなく入口も分かりづらい。

御穂田、御親田、と呼ばれる神田。
ここで三十三度拝の四方拝がなされる。
新年の皇室での祭祀と同じ。

看板には鶴が描かれていた。
前回は、無我夢中で辿り着いて全く記憶がない。

田植えはこれから。
夢では、白と紫の蝶が無数に飛んでいた。

そのままの光景で、田植えを前に蝶がたくさん飛んでいる。リュウキュウムラサキもいる。

何時間でも居れる。

御穂田
親田

ここから、天武大主の元へ。
途中、一箇所危ない場所がある。
崖っぷち。

厳島での拝所を巡る旅が
ほんとうに路なき路で、心の底から険しかったので
(住吉さんは厳しい…💭)
前回ここに来た時は、おののいた路もやさしくおもえる。

ちゃんと路にみえる。

親田のさらに崖上に祀られている。
前回来た時は、生き別れた肉親との再会のように泣き続けた。あたたかくなつかしい。

右側は、真っ逆さま。
風葬だったのだろう。だから崖なのだ。

様々なおもいが巡る場所。

稲が手向けられている。
受水走水で採れた稲
感無量。じんとする。
大好きな場所だ。

旧正月まであと二日。

ヤハラヅカサと浜川御嶽へ向かう。

浜川御嶽で拝むと、香炉の前に貝がひとつ置いてあった。
次の拝所に向かおうとした時、ハッとする。

出発前にみた夢では、貝殻が三つ香炉の前に並んでいた。

伊勢志摩の国崎で鮑の調製所を訪れた時も、山の神の前に貝殻が三つ置かれていた。

ひとつの香炉にはおひとりの神さまが宿る。
貝殻が二つ足りない。

浜に戻り、残り二つを必死に探す。

案外ない。
なんとか手にし、整いました。

浜川御嶽にある拝所には、橋がかかっていてその下をうつくしい湧水が流れている。橋がかりだ。

大切な拝みの日は、はじめに水で額を撫でる。霊力を賜わる大切な儀式。水にそっと手を触れると、神聖な感覚がある。驚いた。

額を撫で御礼を申し上げ、次の拝所へ向かった。

ひとつ心残りは、貝に水を汲んで差し上げるべきだった。
申し訳ありませんでした。次こそは。

おひる休憩を挟み藪薩御嶽へ。
ここも崖っぷち。
やはり風葬だったのだ。

その後、ミントングスクに行きたかった。
が…個人宅なので、お声をかけねばむずかしい。
今回は、どなたもご不在のようで次回に。
タイミングがある。

かわりに、寄るはずのない路を通ったのだが、自転車を漕いでいると、片側からとんでもない気配がする。

慌てて自転車を停めた。

受水走水で採れた稲をヒヌカンにお供えしお祀りされていた。

稲の豊穣を願う
としごいの祭り

それが旧暦のお正月に行われるが、そのお正月を迎える年の瀬というのは、なんて大切な祈りの時なのだろう。

しばし放心した後、鶴が落ちた場所を探しに向かう。
稲穂を運んだ鶴が嵐で落ちてしまった。という。

その地は、天孫氏の一族が使用した、あるいはその末裔に関連する場所と伝承され拝所となっている。

その少し外れた場所に気になる箇所があり、ひたすら進むと香炉があった。地図にも記載はない。

山路の下の拝所は、この場所を遥拝しているようにおもう。

二月十六日 大晦日 神屋 玉城

旧暦大晦日。朝。
鳥の声で起きる。アラームは不用。
朝食をゆっくりいただく。

昨夜、日付が切り替わってから何故か過緊張状態になりあまり眠れず。普段そんなことはない。宿のベッドは心地よくいつもならぐっすり眠れる。
何かがやってくる。そんな緊張感。

覚悟を決めた。
自転車を延々押して山を登る。

平地と下りは自転車に乗れるし、カゴに荷物を乗せられるので、自転車を借りられるのは大変ありがたい。

この日も朝から灼熱…。
玉城の城跡、ヒヌカン屋敷を目指す。
途中、何となく通りかかった場所が神屋だった。

ものすごい気配がする。
昨夜から眠れなかった緊張はここだ。
神屋があった。

「神屋」は、ノロが祭祀を行う際、火の神(ヒヌカン)を祀る屋敷内の聖域。個人のお宅なので、タイミングとご縁。

偶然人がいらして、拝みにきました。と言うと、場所を教えて下さって、上がらせて下さった。

庭には洗濯物や植木が雑然と置かれる生活の場だが
ここだけが神域。

覚悟がいる場所で、一心に拝むと久しぶりに震えと嗚咽。
強烈な緊張感。

神屋をでて、延々山を登る。
途中御嶽で拝み、ヒヌカン屋敷に。
ヒヌカン屋敷は、戦争で沖縄がアメリカ統治下になった時この地に散らばっていたヒヌカンをひとつの場所に集め祀った場所。歴代の祖霊、祖神が祀られる。

菊の御紋と同じ。太陽。
ご挨拶を済ませ、玉城の城跡へ。
最後の場所。

頂きの岩穴を潜ると、御嶽。
とてつもない気持ちよさ。
驚いた。

頂きばかりが有名だが、この崖下には鍾乳洞らしき場所がみえた。地の底だ。
風葬は、崖か洞窟と決まっている。

ロープでよじ登り、そこからロープを伝い地底に降りるルートがみえた。冷たい風が吹き上がる。

時刻は11時。自転車の返却は12時まで。
ここを降りたら三時間はかかりそう。
ましてや、足を滑らせたら一貫の終わり。
ここは潔く諦めた。
体力も限界だった。

また参ります。
宿に戻り、一杯の冷たいお水をいただき玉城を発つ。
帰りのご挨拶に首里へ。

旅の最後は首里森御嶽。
初めて訪れた時、吐くような嗚咽と震えで、インスタライブをするキラキラ女子の隣でうずくまり泣き続ける不審者となった御嶽。

琉球王国のすべての祭祀を司る重圧と政治に翻弄されるノロの苦しみと叫びのような気持ちが全てない混ぜになって、得体の知れない恐怖に只々重く苦しい場所であった。

今回の旅では、あの辛い想いはスッキリ消え去っていた。
龍宮にとって、首里にとって、私にとって大切な御嶽であるとおもう。

今回の旅も、怪我もなく無事終了しました。
ありがとうございました。
また参ります。

みなさまよいお年をお迎えください。

翌日各地で行われる、祈年祭がどれ程尊いものか
身をもって体感した年の瀬。

二月二十三日 天長祭

やっと伊勢に行ける日
天長祭

9時45分、内宮、御正宮着。
ぎりぎり。

東京方面からだと、始発でもぎりぎりにしか着かない。
連休でものすごい人。

無心でゆっくりと階段を上るが、息も絶え絶え。
できる限り丁寧に、呼吸を整え
あけましておめでとうございます。のご挨拶をした。
祈年祭に来れなかった。

この日は、参拝者全員が階段下に下ろされていた。
衛士さんの采配による。

奉拝させていただきたい旨をお伝えし
一度降りた方がよいかをお尋ねした。

ここに居ていいですよ。と仰って下さった。
奉拝者、一名。

ほんの偶然の出来事。

御礼をお伝えし
無音の中、しばらくの時を過ごす。
神さまと神職さんと衛士さんしか居ない。

雨の御卜の日を思い出した。

同じように神さまと神職さんと衛士さんしか居なかった。
まだ誰とも知り合う前。ひとりきり。

その時は、月次祭、雨の夕方。
きょうは連休の真昼。人人人。

風の音だけが響く。

鶴を追いかけて、琉球で稲作発祥の地を巡ったあとの伊勢の神宮はたまらない。

すばらしい祈りの時だった。

荒祭宮に向かう前にもう一度御礼を申し上げた。

またお会いできますよう。

連休の神宮は、人を探すのは困難なくらい人人人。
けれど不思議と会う人には路すがらポンと出会う。

結局、朝から四人の人に次々と会った。
まだ半日も経ってない💭

いつから来たの?
今朝ですー!のやり取りを繰り返す。

誰かとご挨拶をしている間に、次の人に会う。

瀧祭神の前である方とお話していたら、いつも偶然会って赤福をご馳走になるYさんが通りかかる。

全員知り合いで、アッ。と声が上がった。

外宮のお近くにお住いで、いつも内宮にいらっしゃる訳ではない。祭も終わってからいらしたので、本当にたまたま。

二人で、会いすぎますね。と笑って一緒にお参りをして、伊勢うどんをご一緒した。

二月二十三日 日没の人

到着してから立て続けに色々なことがあり、頭が追いつかず。夕暮時の静まり返った時間に、ゆっくり参拝をしてから宿に戻ろうと、もう一度内宮へ。

一般的には、午後三時を回ったら参拝を控えがちだが、神宮に限りこの時間の参拝が好きだ。

無人の鳥居に吸い込まれそうな気配があり、一枚写真を撮った。

その時、ひとりの方が同じ方向をみて「何か感じるものがおありですか?」ポツリと仰った。

その方は、日没に一分一秒でも近い時間にお参りしたくて、いつも参拝終了時刻間際になってしまうのだ。と笑われた。

ご先祖のことを追っているうち、不可思議な体験をされたその出来事についてお話下さった。

書き記さないが、他人事には思えぬお話。

私にも「何かきっかけがおありになったのですよね。啓示がありましたか?」とお尋ねになったので、ハイ。とだけお答えした。

具体的な話はややこしい上、三晩かかりそうなのでしていない。

宇治橋を渡る頃、辺りは薄暗く、おかげ横丁をゆっくり話ながら歩いた。お食事に誘って下さったのだが、残念ながら先程たっぷり食べてしまい、もう一部の隙もなく。

また、日没の頃にお会いしましょう。

二月二十四日 日毎朝夕大御饌祭 土宮

天長祭の路すがら遭遇した毎朝参拝しているTさんが、日毎朝夕大御饌祭を案内してくれるというので、久しぶりに朝の外宮へ。

天長祭では、御正宮で私の後ろ姿をみたが、声をかけられなかった。と仰る。

共通のお友だちのHさんと同じことを思った。と。
顔は見えなかったけれど、後ろ姿だけで私の回りだけ空間が違っていた。時が止まっているのだと仰る。

自分で自分はみえないので、よくわからない。

途中、路すがら向かいから歩いて来られた方にご挨拶。
この方は元外宮の…💭とご紹介して下さった瞬間

あ。昨日、瀧祭神の前でお会いしました☺️
会う方は何度も会う。

久しぶりの日毎朝夕大御饌祭、うれしい。

お食事の時にここに居られるのは、本当にうれしい。
忌火屋殿から立ち昇る煙の香りも大好きだ。


参拝後は、鳥羽方面までご一緒させていただき
御礼を申し上げて、その後はひとり参拝。

海沿いを自転車で走る。
レンタサイクルありがたし。
風が気持ちよい。

粟皇子神社の元となった場所で
粟皇子神宮、土宮神社がある。

祀られる御祭神は
大土御祖神をはじめ、素戔嗚さんや大物主さん、綿津見さんなど十三柱の神を祀っている。

私にとっては、縁深い方々ばかり。

七ツ島
粟皇子神社
粟皇子神社の程近くにある、大国主さんが祀られているという社
神前神社
潜島

全てセットだと思う。

粟皇子神社は元は対岸にあったとは見聞きしていたが
訪れたことはなかった。

大きなお社ではないが、荘厳。大変丁寧にお祀りされていた。御神気が強い。

来れてよかった。

二月二十五日 滝原

朝、土砂降りの宇治橋の前で電話をかけていたら
目の前を神宮司廳の車が通る。

考えられぬスロースピードで
随分とゆっくりだなぁ…??と不思議に思ったら
中に乗られていた方がお知り合いの方で合図されていた。
一昨日もお会いした。

ぶんぶん手を振ってお見送り。

午後は、滝原へ行く予定があった。

滝原のおじいちゃん。Hさんのことを少し。

出逢いは、私が伊勢の神宮に通いはじめた頃。

瀧原宮の神さまにいつもお世話になってるから、いつも駐車場を端から端までお掃除するの。と仰る。

前回、東京に戻ってから
「また来てね。次はいつ来るの?来る時連絡してね。」
と、わざわざお電話を下さった。

滝原を訪れる予定があったので、お顔をみたいな。と思ったけれど団体行動なので、訪問時間も分からない。お茶を飲む時間もない。そのために時間を割いてもらってはいけない。

いつもの場所にいらっしゃれば、お顔をみてご挨拶だけしたい。会えたらいいな。と、ほんのささやかな手土産を用意して寸前にご連絡したところ「今、工場にいるけど行く!」と仰る。

「わざわざはいいですよ!時間もはっきり分からないし。お茶を飲む時間もないので。一瞬お顔をみるだけになってしまいます。」とお伝えするが

「いいのいいの。顔を見に行くから。着いたら連絡して。」と仰る。

瀧原宮の参拝後、

手を振って待っていて下さった。
10分もない!

笑顔でお話しながら、みかんと苺あげるから。と仰って
御礼の御礼になります!とご辞退するが、御機嫌でどさっと渡された。
神さまみたいな人である。

ほんとうは丸椅子もってきたの。と仰る。
椅子は持って帰れませんから!

バスが出るまで少しお話し。ニカっと笑って手を差し出された。にぎにぎ握手。お元気そうで何より。

窓はスモークで中は見えないのに、バスが出るまで手を振って下さった。隣の席の方が驚いていらした👀💭

やさしい方なんです。
バス中に漂う苺の香り。

次は、ゆっくりお茶をご一緒させてください。

二月二十六日 再会

内宮を早朝参拝。


黎明の時間ここに居るから。と仰ったMさん。
瞳のうつくしい女性。

きょう、夜が明ける時間に会えたらいいな。
と思っていたら、お会いできた。

ご縁あり、御木曳に複数回参加されると仰っていた。

お話しているうちに朝食ぎりぎり
また、小走り…💨

お会いできて嬉しい。
また黎明の時に。

午後は内宮へ。連泊途中、一度東京へ戻る日。

天長祭でもお会いしたYさんに内宮でまたバッタリ。

偶然会う度にお腹を抱えて笑っているのだけど
いくらなんでも会い過ぎる。

参拝者は山のようにいる時間帯。

よく気付かれましたね?と言うと
梅の花が咲いているなぁ。と偶然振り返った先に私がいたそうだ。

こんなに遭遇する人はいない。と首を傾げていらっしゃった。

赤福、もう何度目でしょうか?

私はもう数えていないが、ばったり会うのは六回目だそう。

一昨日伊勢うどんをご馳走になったから、きょうは私が払います。と言うが、こんなに会う人はいないし何かのご縁なんだからいいの。と仰る。

ぜんざいおいしかったです。

この後、一度東京に戻りまた伊勢へ舞い戻る。
怒涛の二月が終わったが、蚕と稲に関することが際立つ月で、たくさんの学びがあった。

養蚕と稲作の地に足を運んでみたいと感じた。

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