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48.土御門教授語録 ≪人生の最期も幸せに≫

悠斗君は、人が『幸せに生きた』として、そして『幸せに逝ける』ものなのかどうか、つまり、人生の最期は病院のベッドでチューブに繋がれ、手も拘束され、嘆き苦しみながら『逝き』たくない、と思っています。『幸せに生き、幸せに逝く』と言う言葉、前半は自分の心で、行動で、幸せに、なんとか生きたとしても、後半の『幸せに逝く』の部分は、どうすれば良いのか、少しばかり不安がある、イヤ、不安しかないのです。

その後半部分についてどうすれば良いのか、思い切って土御門(つちみかど)先生に聞いてみることにしました。

 

先生、人はいつかは死を迎えますが、僕は人生の最期だけは安らかに穏やかに逝きたいと思っていますが、どうすれば、そういう逝き方ができるんでしょうか。

 

先生は、

今日はまた、とんでもないことを聞いて来るなぁ。君はまだ若いのにそんなことを考えとるのか、考えることが違うじゃろ。彼女の事とかの相談は無いのかねぇ。

でもまぁ、それはそれとして、人間の死についてかね、だれも逝ってまた還ってきて、教えてくれる人はおらんからなぁ。まぁ、ここからはワシの持論を説明するしかないノォ、ワシの持論じゃぞ、オッホン。

 

結論から言うとじゃなぁ、

多くの現代人は自分のルーツを忘れとる、と言うか、自分の本性を忘れとるんじゃ、人間は自然界の一員なんじゃ、野生動物の一種としてこの世に誕生しているんじゃから、本来の自然界の摂理に則れば、幸せに生き、幸せに逝くことができるようになっとるんじゃ。

 

≪自然死への自然界のバックアップ≫

自然界の死は、死期が近づくと、自分で極楽に行く準備を勝手にするんじゃ、そして心地良い楽しい気分で、来世に向かうようになっていると言われとる。

 

例えば、人間の死期が近づくと中治り現象とか、お迎え現象とか、と言われる現象があるというのは聞いたことがあるじゃろ、まぁ、人にも拠るんじゃがのぉ。

中治り現象と言うのは、食べられないはずの状態の人が、突然症状が回復したかのようになって、あれが食べたい、これが食べたいとか、水が飲みたいとか、喋りだすんじゃ、『この調子だと、もうすぐ退院できるかもね』と言われることもよく有るそうじゃ。この時に最後のお別れが言えるような状態にもなると言われておる。

また、お迎え現象と言うのは、すでに故人となっている、本人と親しい人が顕われて楽しい雰囲気でお迎えに来てくれるそうじゃ、勿論本人にしか見えないんじゃが。久々の再会は、本人にとっても懐かしい嬉しい喜びの再会だと思われるノォ。

それだけじゃない、まぁ、文句ばっかり怒鳴ってばかりの嫌われ者が、人が変わったように、突然、優しい言葉や『ありがとう』を言ったりすることもまま有るらしい。

 

年老いて行くと、だんだんとものが食べられなくなり、見た目にも痩せて行く、そうすると自身だけでなく周りの人たちも暗黙の準備の時間が確保されてゆくんじゃ。よく言われるように、枯れたようになって自然に還って逝く、じゃな。

 

そして、最期の最期、人間の身体が死期がまじかに迫ってくると、勝手に、強力な脳内麻薬と呼ばれる多種のホルモン(βエンドルフィン、エンケファリン、オピオイド、ダイノルフィン、ドーパミン、オキシトシン等々)が分泌されて、そのお陰で、痛みも苦しみも無く、穏やかに安らかに逝ける、と言われとるんじゃ。

自然界の死は、なかなか粋な計らいをしてくれるような気がすると思わんかね。

 

≪高度な医療の死なせない医療≫

しかしじゃな、現実は、最先端の医療のお陰で、延命処置を施されるのが普通になっとるんじゃ。『たとえ少しの時間でも延命治療をしてくれ』、『絶対、死なせないでくれ』、と家族や親戚から懇願されることが多いんじゃ、それも脅迫交じりにナ。本人からではなく、周囲からのぉ。医者も大変なんじゃ。

回復の見込みは無くても、単に延命のためだけにじゃ。自分の身体自体が、中治り現象やお迎え現象、そして脳内麻薬のホルモンが分泌され、健やかに穏やかに楽しく安らかに逝く準備ができているのに、無理やり逝かせないようにされてしまうんじゃ。

 

じゃァ、どうなるのかって?まぁ、よく分からんが、自死も含め、人為的な手が入れられるのは自然界の摂理に反するからのぉ、安らかな死とはイカンかものぉ。

 

≪穏やかな自然界の人の死を迎えるために≫

人間の身体は、自然界の摂理に従って生きれば、本来の自然死、つまり、穏やかな安らかな眠りに就くことができるようになっとるんじゃよ。オーッホッホッホー。

そんな自然界の穏やかな死を迎えるためにどうすれば良いかって?

 

まぁ、普段から自然の摂理に則って、心穏やかにみんなと仲良く楽しく、また感謝の言葉、『ありがとうございます』を多用していると、無心のうちに、沈み込むように、心安らかに、大自然の懐に落ちて行くとも言われとるんじゃがなぁ。中には常に不安や心配、恐れや嘆き、悲しみ、後悔などの負感情にのみ支配されている人もいるんじゃが、やっぱり、心は自然界の摂理に沿った素直な正感情に戻すことが求められるんじゃなぁ。それと、まぁ、常日頃から、健やかに安らかに眠ったまま逝く自分を、脳に、潜在意識に、イメージし続けるとその通りの最期になる、とも言われとるんじゃ、が、これらは誰も証明してくれんがのぉ・・・。

 

≪自然界の死は大往生≫

人の幸せな人生の最期の行程もやはり幸せに終われるようになっとる。高齢になるほど、老化、劣化現象は避けられない、が、しかし、身はたとえボロボロでも、最期には痛みも苦しみも無く、みんなと仲良く楽しく笑って逝けるんじゃ。自然界の自然死は、よく言われるように、爽やかな明るい日差しの中、綺麗なお花畑の中を進んでゆく、じゃ。まぁ、実際に見た人はいないがなぁ。

 

自然界の全ての生き物は、自然界の一員として生まれ、自然の中で健やかに生き、自然界の摂理に従って逝くんじゃ。ならば人間の死もまた、自然界の一つのイベントに過ぎない、それが苦しいはずが無かろう、そう思わんかね。

まぁ、最近の人間は、自然界の動物という肝心の事を忘れとる奴が多い。自然界の人間の死は、ただ単に、自然のあるがままの状態で、本来の生を終えるだけなんじゃ。それが俗に言われる、『大往生』なんじゃろなぁ。アメリカインディアンの詩にある『今日は死ぬのにもってこいの日だ』の情景そのままなんじゃ。

 

自然界の人間の死は、本当は、優しく穏やか安らか、むしろ本人にとっては嬉しい楽しい雰囲気とさえ言われとる、自然に還る時は自然界の厳粛なルールに従って、まぁ脳内麻薬のお陰で、気持ちよく心地良く安らかに、眠ったまま逝くようになっているんじゃ。大自然の摂理は優しいじゃろ、それが人間という、野生に生まれた動物の姿なんじゃな。

 

ヘエーッ、そうなんだ!!!

何となくわかった気になって、すこし胸をなでおろし、安堵している悠斗君でした。

 

折角の人生、穏やかに、安らかに、幸せに逝けるんです。人は、本当は自然界に生まれた野生動物なんですから、それが本来の姿なんですから。折角の二度と無い人生、仲良く楽しく幸せに生きましょう(H/P 書窓けやき通り)

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