「統合」の意味と経緯
こんにちわ、Kaloです。
今朝、瞑想をしていて、ふと降りてきた気づきのシェアです。
スピリチュアル系の人はよく「統合」「統合」って言いますが、
「統合」の意味、なんとなくわかっていなくて。
でも、今朝改めて、ああ、自分と自分が統合することなんだな。と。
私たちは「バリバリ自我生活」を送ってきたわけですけれど、
本当はもうひとりの自分がいて。
それを「光の存在」とか「神」とかって呼んでたりしますが、
この「3次元で身体を使って生きている自分」を、
ちょっと離れて「遠くから見ている自分」なんですよね。
バリバリ自我生活では、もうひとりの自分、光の存在に気がつけません。
だから外側に神を求めたりします。
多分、本当の本当は知っているんです。
神である、光の自分の存在がいることを。
それを亡くしてしまったと感じていて、
だから外側に探し求めるのだと思います。
瞑想をすることが良いと言われるのは、絶えず喋り続けている思考(=自我)を一旦休ませてあげることで、もうひとりの自分の声が聞こえるようになる。ということなのだと思います。
そして、それは、もう一人の自分という「存在に気がつく」ことでもあって。
私のこれまでの体験で言うと
最初は、その、「もう一人の自分」の存在に気がつくことからはじまって、
自分の中に二人の自分が現れてくる感じでした。
よく、
「これは自我の声?それともハイヤーセルフの声?どっちかわからない。」という言葉を耳にしますが。その状態っていうのは、この段階にあります。
もう一人の自分がいることに気がついたけれど、
まだ二人の自分が統合されていないのです。
そして二極や二元の間に立ってゼロポイントを探したり、
三次元的な豊かさだけを求めたり、いいことだけが起きるように願う。
というような状態も、二人はまだ別れている。この段階だと言えます。
その二人が徐々に、重なっていく。
この忘れ去られていたハイヤーセルフ、光の存在である自分が、だんだんと存在感を増してくると、「アタマで考える」ということから「ハートで感じる」に移行していきます。
自我はある意味生存本能のようなものなので、「怖い」とか「心配」とか
そういった恐れや不安や罪悪感などの感情センサーに敏感に反応して
それに対処しようとして、がんばって考えてくれていたのですが、それが積み重なっていくと対処できなくなってしまい、身体がオーバーフロウしてしまいます。そうしたことが病気の原因にもなっていると思います。
そうした感情が必要なくなってくると、自我は安心していられる。だからよく「手放す」と「統合」が一緒に語られることが多いのかもしれません。
「ハートで感じる」という感覚がつかめて、
その感覚が日常の中で増えていくことで、
どんどん自分の見ている世界が変化していきます。
ハイヤーセルフの視点の位置に近づいていくからです。
そうすると「この世界すべてが自分だった。」ということが
アタマで理解するのではなくて、感覚として感じられるようになります。
全部自分で創っている。
私たちは創造主。
そんなフレーズをよく聞くと思いますが、
それが、「まさしくそうだ」と。感じられます。
そうして統合していくと、
「これは自我?これはハイヤーセルフ?」とかっていう迷いは消え去って、
自分が感じる感覚や、降りてくる言葉、出会うすべての人々、
入ってくる情報、体験するすべてがメッセージであり、
それはもう、すでに、決まっていた。と感じられ、
どのような出来事にも抵抗が生まれず、感情が揺さぶられず
すべてが祝福のもとに起きている出来事だと。感じます。
これが「統合」だと。
ヴェシカパイシーズのように重なっていた二人の自分が、
まるで月食のようにピタリと重なること。
ふたりはひとつ。
永遠の愛で結ばれる。
というのは、ある意味、自分と自分のことなのだと思います。
そして、自分の世界に見えている、体験している
一見矛盾しているように見えること、二極にあると見えること、
そのどちらかではなく、それらもすべてが
まるごとひとつになって「ここに在る」と感じられること。
ああ、だからすべては感謝でしかないのだ。と。
トップ画像は、見えづらいですが
朝、そんなことを考えていたら、天井に現れた
ふたつのヴェシカパイシーズのような光です♡。
ではでは、今日も素敵な1日を。
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