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2026年6月に読んだ本まとめ【読書感想文】

 毎年のことながら、この時期は暑すぎて何もやる気が出ないね。個人的には冬に比べたら日照時間が長いからメンタル的に激しく沈鬱化するってことはないんだけど、いかんせん肉体的な夏バテが酷くて何も出来ん。例えるならテレビを一応点けてはみたもののテレ東かTOKYO-MXしか見る気が起こらない、みたいなね。

 そんな状態だから余暇の時間もすごく惰性的かつ受動的になってしまってるんだけど、流石にこのままだと一生YouTubeでワケのわからんショート動画を垂れ流しにしたまま半生を過ごすことになりかねないんで、可処分時間を無意味に侵食してくる系のアプリ、一旦全部消しま~す。iPhoneのストレージ容量も最近圧迫されてきたんでね。メールとかもほとんど迷惑メールだからって放置してたら通知が3桁超えててホーム画面が無秩序地帯と化してる。

 ということで結局何が言いたいのかというと、このアプリ一掃計画により、noteもしばらくアンインストールしようと思います。
 引き続き週1ペースの投稿は続けますが、完全なる「書き専」ユーザーに移行するというかね。今までは呼吸をするような頻度でnoteのアプリを開き、そこに表示された記事をねっとり舐め回すように読むことが多かったんですけど、そういうことも今後は頻度が少なくなるかな、と。
 基本的にはポメラで文章を書いて、投稿する時だけnoteをインストールするような形にしたいと思います。まぁ別に勝手にしろよって話なんですけど、今流行りの質問箱的なヤツをやるような時代の潮流についていけなくなりつつありますんでね。

 どれぐらい時代の流行に鈍感になってるかというと、例えば「『HOT LIMIT』に『耐水性の気持ちに切り替わる』という歌詞がありますが、つまり西川貴教は右手にペットボトルコーラを持ったままあの曲を踊り切ったとしてもコーラ開栓後に全く濡れずに済むということですか?」みたいな質問に全く答えられないですから、これがもし時代の潮流にしっかり乗ることの出来る感性を持った人間なら多分ちゃんと回答出来るんでしょうけど、私はそういうものに疎いのでね、質問箱を開設出来るような資格もないし、交流の発生しない閉塞的で孤絶された世界においてしか存在出来ないというわけですな。

 多少、というかかなり論理が飛躍した感も否めないが、直接話しかけたり訴えかけたりせずとも、誰かが文章を書き、また別の誰かがその文章を読んだ時点でそれもひとつの相互交流として成立すると私は思っているんでね、そういうことも加味していただけると助かります。
 
 ってなワケで真面目な路線に話を戻すと、今後は質問に限らずnote内での何らかのアクションに対する返報性がかなり薄くなると思いますがそこんとこヨロシコということです。浮いた可処分時間は積読本を読む時間などに費やしたいと思います。

 前段が異常に長くなってしまいましたが、それではそろそろ毎月恒例の読書感想文回を始めていくとしましょうか。

↓いつもの

 ※あらかじめ断っておくと、これから述べる感想には容赦ないネタバレを含むどころか、あらすじや内容を説明するのが面倒臭いという筆者の怠慢によりこれを読んでいる貴方がその本を通読しているという前提で話が進む可能性もあるので、これからその本を読みたいと思っている方々は速やかにブラウザバックしてください。まあ最低限説明しなきゃいけない部分は極力するようにしますが。

6月の読書記録(ログ)

グアダルーペ・ネッテル/著 宇野 和美/訳『赤い魚の夫婦』(現代書館)

 久々に心の琴線をぐしゃぐしゃに掻き乱されるような良い本を読んだ。

 主に生き物をテーマにした6編が収録された短編集で、表題作の『赤い魚の夫婦』は初めての子どもが生まれた直後の夫婦の関係性を彼等が飼っている水槽の中の2匹の赤い観賞魚(オスとメス)の様子に巧く呼応させて描いた話。陰影に富んだ文体と作品全体に流れる不穏な緊迫感も相まって滅茶苦茶没入してしまった。

 これまでというもの、小説を初めとした作品に対して時々評される「官能性が感じられる」という言葉のニュアンスがイマイチわからなかったのだが、ネッテルの作品に触れて生まれて初めてその意味がわかった気がする。正直谷崎潤一郎の『痴人の愛』とかも「谷崎=官能」みたいなイメージが先行しすぎたのかイマイチよくわからなかったんですよね。そう言われればそうとしか言えないような曖昧模糊とした感じがあったけど、ネッテルの小説は何の前情報なしに読んでも「ああ、これが官能性というものか」と納得させられるような独特の魅力がある。

 よくよく考えれば観賞魚とか猫とか蛇とか色々な動物が出てくるから官能性を感じるのもさもありなん、という感じなんだけど、それでいて文体の妖美さとか不穏な陰りのようなミステリアスさを維持しているっていうのは本当に天才だと思う。とにかく一度読んだが最後、その文体の虜になって著者の他の作品も渇望するようになってしまう。もう完全にNO ネッテル NO LIFE状態。これからも熱烈なファンの1人として注目していきたい作家だ。 

ウィリアム・ワイマーク・ジェイコブズ他/原作 富安 陽子/文『猿の手』(ポプラ社)

 『ホラー・クリッパー』と呼ばれるポプラ社の児童向けホラーシリーズから。表題作の『猿の手』をはじめとして他2編の短編が収録されている。ジャンルとしては児童書にカテゴライズされるが、大人が読んでもしっかり愉しめる。そしてちゃんとまあまあ怖い。

 表題作『猿の手』は願い事を3つ叶えてくれる『猿の手』というアイテム(?)を手にした一家の人間が望みを叶えようとするが、それには代償があり……というお話。不気味さと教訓めいた部分のバランスが良い塩梅にとれており、読み易いながらも深い読後感を与えてくれる。
 ちなみに私の願い事を3つ挙げるとしたら「全く怪我することなく『ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)』のイントロのBPMでキャベツを切り刻めるようになりたい」「美味しいトンカツを揚げられるようになりたい」「粋なビートでフロアを沸かせられるようになりたい」である(なんでトンカツDJ志向なんだよ)。

 こちらに収録されている他2編の『不思議な下宿人』『魔法の店』もホラーテイストは薄めだが、古典として読み継がれるだけあってやはり面白い。

 夏はやっぱりこの手の怪談話が読みたくなるけど、あんまり読むのに体力が要るのは無理というような方にオヌヌメですね。 

穂村 弘/著『世界音痴』(小学館文庫)

 歌人として界隈で高名である(と思われる)穂村弘氏による、ライトなエッセイ集。『世界音痴』というタイトルなだけあって、著者の社会性は世界の通奏低音とされるような常識からはかけ離れたところにあるのだなと思わされるようなエピソードが多数。無論、私も不協和音を鳴らし続けながら人生を生きている類の人間なので共感して首を縦に振るのに暇がなかったが、たまに著者の奇行が過ぎて首を傾げることもしばしば。流石の私もベッドの上で毎晩菓子パンを貪り食うことはない。

 ただ、飲み会の時にトイレに行くとその間に自分がどんなことを言われているかわからない、という理由で膀胱に尿を溜めがちだという話は非常によくわかった(わかった、と言っても著者の感じている世間とのズレは恐らく強い固有性があるものだと思われるので気安くわかられても困るだろうが)。

 確かに、飲み会の場でトイレに行くために席を外した瞬間からそのテーブルで自分の陰口合戦が開始されてそうな気がするもんな。

 「アイツ、ビール一口飲んだだけでもう声が酒焼けしてないか?」「いや、きっと普段全然人間と喋らない所為で声帯が瀕死状態なんだよ」「え?でも噂ではカラオケによく行ってるって聞いたけど」「あーそれは1人カラオケだろ、日頃の鬱憤を晴らすために『凛として時雨』の曲を裏声で歌っては途中で我に返り冷静になって演奏停止ボタンを押す、っていう行為を延々と繰り返してるんだよ」「なるほど、だから声量があんなに𝐮𝐧𝐫𝐚𝐯𝐞𝐥だったのか!」「確かにそれは複数人だと出来ないもんな」「まあ仮に複数人でカラオケに行ったとしても、自分の番になったら1番だけ歌ったところで己の音痴さに耐えられなくなって気まずそうな顔で演奏停止ボタン押してそうだけどな」「(笑)」「(笑)」「(笑)」

 
 自分で書いておいて何だが、段々と不快な気分になってきたので唐突ですがここら辺で終わりま~す演奏停止


つづく

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