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品種と育種で世の中を楽しくしたい | 品種ナビゲーター&育種家・竹下大学さん【偏愛マニア#14】

「好き」で続けてきたことがどのように仕事につながってきたのか。「偏愛」から活動が広がる方々のお話を伺いながら紐解いていく「村田あやこの偏愛マニア探訪記」。
今回ご登場いただくのは、品種ナビゲーター・育種家の竹下大学さんです。
 
大手企業で長年品種改良に取り組み、ペチュニアという花で大ヒット品種を生み出すなど活躍した竹下さん。しかし得意な仕事を社内で続けることはできず、その後は活躍できないまま退職まで11年間が過ぎてしまったそうです。2022年に早期退職して起業。現在は著作や講演活動を通して、地域色豊かな品種の魅力や、それを生み出す育種家という仕事の面白さについて、幅広い方法で発信しています。
華々しいキャリアにも見えますが、その道程は意外にも葛藤や挫折の連続だったといいます。
人間関係がつらかった高校時代、植物に救われた経験を持つ竹下さん。これまでの歩みを振り返りながら、品種ナビゲーター&育種家という仕事に込める思いを伺いました。

竹下大学(たけした・だいがく)さん
品種ナビゲーター/育種家。植物に救われた経験と育種家としての経験を活かし、「品種」「育種」「植物」「歴史」の切り口から新たな価値を多方面に提供中。著書に『日本の品種はすごい』『日本の果物はすごい』『野菜と果物 すごい品種図鑑』など。好きな言葉は「縦横無尽」「新機軸」「世界制覇」。栃木と東京の二拠点生活。 https://peraichi.com/landing_pages/view/takeshita/

「大学」という名前を恨んだ10代。アサガオに心救われた

――竹下さんが植物に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
 
高校時代、人間関係に疲れ切っていて、「人間は面倒くさいな」と感じていたんです。親からの「こうあるべき」という圧も重く、高校卒業後はすぐに働いて自立したいと考えていました。小学校時代からムツゴロウさんに憧れていたという短絡的な理由で、当時は「北海道のムツゴロウ動物王国に弟子入りしたい」と思ってました。
とはいえ、高校は卒業しなければならない。けれど、家にも学校にも居場所がない。悶々とした気持ちで図書館に籠っていたら、ふと図鑑で目にしたアサガオに心奪われて、自分で育ててみたいって思ったんです。花の直径が20㎝を超える「超巨大輪咲き」品種や、たくさんの花を同時に咲かせる「数咲き作り」などに凝りました。他の植物にも手を広げ、植物に触れていると気持ちが落ち着くのに気づきました。
 
――どういうところに気持ちを救われたのでしょうか。
 
当時は精神的に未熟だったので、周りに対して「なぜ俺の気持ちを分かってくれないんだ?」という他責思考を強く抱いていました。
一方で植物に対しては、うまく育たなければ「自分が悪いんだろうな」と素直に思えたんです。枯らしてしまっても、「また育てればいいや」と明るい気持ちで向き合えた(笑)。そしてうまくいかない理由を考えて対応し、だんだんと上手に育てられるようになってくると、植物の調子の良し悪しにもすぐ気づけるようになる。自己肯定感も高まり、植物っていいなと、将来は植物の仕事に就きたいと考えるようになりました。
僕が社会不適合者にならずにすんだのは、アサガオのおかげですよ。

――当時は「大学」というお名前もコンプレックスだったとか。
 
苦痛でしかなかったですね。子どもの頃から何かできないことがあれば「お前はまだ『幼稚園』だ」と言われたりと、「大学」という本名のせいでいじられることが多くて、どんどん名前が重荷になっていきました。
当初は大学には進学せず就職するつもりだったんですが、高校3年の夏前にふと、「この名前を背負って大学へ行かなければ、もっと卑屈になるかもしれない」と思ったんです。
だったらせめて、好きな花について学ぼうと考え、千葉大学園芸学部へ進学しました。
 
――大学に入学して以降は、「大学」という名前のために背負ってしまっていたある種の呪いから開放された感じはありましたか?
 
行きたい大学だったこともあり、ものすごくありましたね。小さい頃から「いい名前だね」と言われるたびに、いちいちカチンと来ていたんですけど、ようやくそれを受け流せるようになりました。
 
――大学ではどのような学生生活を送っていらっしゃったんですか?
 
植物同好会というサークルにずっと入り浸っていました。植物がテーマであれば何をしてもいいというゆるい集まりで、学内で野菜を作ったり、自然観察の指導員をしたり、ランを培養するランマニアや、植物園から高山まで植物の写真を撮りまくる人など、多様な先輩後輩たちに刺激され、僕自身の幅も広がり少しずつレベルアップしていきました。
 
――育種家というお仕事を知ったのも大学時代だったとか。
 
お恥ずかしながら、花好きといいながらも、品種改良をして給料がもらえる道があると知ったのは大学1年の後半でした。育種家は、生き物を人類の役に立つようデザインする人ですからね。天職を見つけたと。
当時の僕は、人とはなんとなく付き合えるようにはなっていたものの、やっぱり人間相手の仕事はしたくなかったので、畑や温室で植物とだけ向き合える仕事に就けたら天国じゃないか、と考えていましたね(笑)。

初営業で奇跡の大ヒット。そして世界へ

――卒業後はキリンビール(当時)に就職し、いよいよ育種家としての仕事がスタートします。
 
花の育種担当として、ペチュニアの品種改良に携わることになりました。ところが入社早々にバブルが弾けてしまい、農業部門がリストラに見舞われてしまったんです。せっかく夢だった仕事につけたのに、人も予算もどんどん削られていって。
とにかくすぐに商品(品種)を作って売ってみせなければ配置転換は確実。絶望的な気持ちでした。
 
――逆境の中で、どのようにして成果に結びつけていかれたのでしょうか。
 
運がよかっただけですよ。必死で完成させた品種も、会社としては販売に消極的。「商品化したいなら自分で売れることを証明しなさい」と言われ、会社とお付き合いのあった花の生産者に自ら売り込みに行きました。するとその方が最初の営業で買うと言ってくださったんです。
僕が一人で来たのを見て「こんな若造一人で営業させるなんて、会社に売る気はないのだろう。損してもいいからここで買ってあげなければ、若者を潰してしまう」と思ったんだそうです。
その方は、その後もずっと僕のことを応援し続けてくださいました。人間的に、大きな方でしたね。

初めて育種した品種を買いつけてくれた方とともに、アメリカ出張中の竹下さん(右)

――竹下さんの熱量に共感してくださったのですね。その後、竹下さんが次に育種したペチュニア’Wave Purple’は、アメリカで新品種の賞を受賞します。
 
ペチュニアは日本よりも北米のほうが、はるかに大きなマーケットを持っています。そこで、経験も販路もない海外に打って出る方法として、新品種コンテストに挑戦することにしたんです。All-America Selections主催のコンテストにエントリーしたところ、なんと初挑戦でいきなり賞を取ることができました。その品種が大ヒットして、会社のアグリバイオ事業で一番の稼ぎ頭になりました。
さらに10年後には、北米の園芸産業発展に貢献した品種を育成した育種家に贈られる「ブリーダーズカップ」の初代受賞者にも、世界でただ一人選ばれました。

竹下さんが育種したペチュニア’Wave Purple’

 ――すごいですね!どのような点が評価されたのでしょうか? 

業界常識を変えてしまったからです。
育種業界は、種子や苗を買ってくれる生産者の評価がすべてのBtoBビジネスの世界。それ以前は、消費者の声はほとんど考慮されていませんでした。
僕は花好きとして、消費者にとって育てにくい、枯れやすい品種が多いことに不満と疑問を感じていたんです。そこで生産者評価は二の次、とにかく園芸初心者でも成功体験を味わえる、丈夫さを追求する品種改良に取り組みました。その結果、誰もが驚くほど丈夫な品種ができあがって、北米を制覇するほどの大ヒットに。生産者は嫌でも作らざるを得ない状況になってしまったんです。
固定観念を壊し、“消費者が喜ぶ品種を開発すれば売れるんだ”という前例を作り、育種業界にイノベーションを起こした実績が、評価につながりました。 

手入れがいらず、どこでも美しい花で彩るWaveシリーズは、街の植栽としても人気。

33年の企業人生を経て独立。応援してくれた人たちの思いに応えたい

――33年間ひとつの企業に勤められた後、2022年に独立されます。独立に至った経緯は?
 
残念ながら黒字になった途端、会社はアグリバイオ事業から完全撤退する決断をくだしました。
その後は本社の企画部門を経て、人材育成専任部署で4年半働きました。生き物の潜在能力を発揮させるという意味では、人材育成も品種改良もまったく同じ。この仕事なら活躍できそうだと自信を得た矢先、社外出向でまったく土地勘のない仕事に就くことに。そこで「組織の枠に縛られる会社員に自分は向いていない」と思い至って、本気で起業準備を始めました。
具体的には、会社勤めと並行しながら『日本の品種はすごい』、『野菜と果物 すごい品種図鑑』といった著作を出版。独立の準備を整えた上で、57歳のときに早期退職しました。
 
――ご自身を紹介できる手土産をご用意された上で、起業に至ったんですね。独立後はどのようなお仕事を?
 
記事の執筆や講演、セミナー、農業関連のコンサルティングといった仕事をメインで行っています。
退職して初めて、勤めていた会社の名刺の力を思い知った場面もありましたし、売上や利益といった課題にも直面しています。それでも、すべて自己責任で決められるし、誰かに頭を下げてお願いする必要もない。「やりたい仕事しかやらない」と決めて、ストレスなく毎日を楽しんでいます。


食べられる花=エディブルフラワーを生産する横山園芸を取材したときの様子
(TOKYO GROWNより)https://tokyogrown.jp/topics/?id=1783824

――やりたかった育種のお仕事をスタートして早々のバブル崩壊や部門の事業撤退など、大変なご苦労が続きました。途中で諦めてもおかしくない状況の中で、竹下さんが続けてこられた原動力は何だったのでしょうか?

まぁ、唯一の自信の拠り所を失いたくなかっただけです。もうひとつは周囲の目ですね。 
会社で花の育種を手掛けていた頃、社内外で偉そうなことを言い続けていた僕のことを、ずっと応援してくださる方々がいました。会社が農業部門から撤退したとき、その人たちは「竹下は業界を捨てて安定した立場を選ぶのか、転職して業界に残るのか」を見ていたと思うんです。結果、その時僕は業界から離れて会社に残るという道を選んでしまった。
だからこそ今、改めて、応援してくださった方々に初志貫徹している姿を見せたい。その想いが原動力になっています。
また、ブリーダーズカップで運よく初代受賞者になれた時に、2つの意味で「やった!」と思ったんです。ひとつは、「これで会社で育種の仕事を思う存分やらせてもらえるかもしれない」という期待。もうひとつは、「育種家の社会的な認知度を高められるかもしれない」という喜びです。

ブリーダーズカップ受賞時の記事

ところが蓋を開けてみたら、会社にはもはや開発にかける余力がなく、帰国後受賞について取り上げてくれたメディアはわずか1件でした。それもマイナーな業界紙で。
その悔しさや申し訳なさから、次世代の育種家に道を切り拓いてあげたいという思いも根底にあります。
最初の営業で苗を買ってくださり、在職中も応援し続けてくださった生産者の方は、7年前に亡くなられました。僕にとって唯一無二の味方だった方の期待に応えるためにも、このままで終わるわけにはいかないと強く思っています。 

育種家としての第二の人生のロールモデルに

 ――学生時代、アサガオをきっかけに植物の魅力に開眼し、お仕事としても長く植物に携わってこられた竹下さん。これまでの道のりを振り返って、あらためて植物のどのようなところに面白さを感じていらっしゃいますか。
 
高校時代は、駅のホームを歩いていると線路の方に“呼ばれている”気がするほどの精神状況だった僕を救ってくれたのが、植物です。
特に花は、植物が大きく変化する瞬間が目に見えるところに、花ならではの力がある。何度もそこに励まされました。人付き合いが苦手だった僕が、大学の同好会で先輩や後輩に恵まれたのも、植物が仲立ちしてくれたからこそだと思っています。
ストレスの多い現代社会で、心が弱っている人は大勢いるはずです。今しんどい思いをしている人たちと植物とをお見合いさせる、“仲人”のような役割も果たしてみたいですね。
 
――これからのご活動として、思い描いていることを教えてください。

大前提として、自分の「好き」に囚われすぎず、「好き」を拡大解釈して興味を持ったことはなんでもやってみたいです。そうすれば新たな「好き」が見つかる体験をしましたから。
僕は花のプロでしたし、正直言って花以外の仕事はしたくなかったんです。それなのにいつの間にか野菜と果物の専門家になってしまい、花は趣味に留めた方がいいなって感じているという(笑)。

今後については、まずはもう一度時間とお金を使って、育種に本気で再挑戦したいですね。幸いもうサラリーマンではないので、組織の方針や計画に縛られずにすみますし。「こんな品種があったんだ!」とワクワクするような発想やアイデアを形にしたい。そのためにも、もっと稼がなければなりませんね(笑)。
もう一つは、人材育成です。育種業界では、組織風土として人材育成に手が回らず、才能を発揮できずに終わってしまう人が多いと感じています。人材育成と品種改良両方の仕事に取り組んだ経験を活かして、そのサポートができたなら、それは僕にしかできないことではないか、と思うんです。

また、育種という仕事の魅力を広く社会に伝えるには、その成果である品種にまず興味を持ってもらうことが必要です。
日本の品種改良はレベルが高く、育種家たちは大変な職場環境の中でいい品種を生み出しています。四季がはっきりしていて南北に長い日本だからこそ、多種多様な品種がその土地の文化とともに生き残っている。こうした背景も含めて、品種という存在の価値や日本の育種産業について、日本だけでなく海外にも伝えていきたいと思っています。

さらには、農業と食の世界の橋渡しもしていきたい。
農と食は本来は地続きの関係にあるはずなのに、お互いわかりあえていない部分が多いように感じています。食品業界は、「いい品質のものがどれだけ安く買えるか」にばかり関心を向け、農の世界の物語や文化にあまり目が向いていません。一方、農業側は、食品業界を遠くてよくわからない世界と見てしまいがち。農と食を品種というキーワードでつなぐことで、互いの価値をさらに高めたいという野望を持っています。

――今は、会社勤めで培った技術やノウハウをもって、フリーランスとしてセカンドキャリアをはじめる方も増えています。ご自身の能力を様々な方法で社会に還元していくことができるという、非常に希望になるお話を伺えました。
 
育種の仕事は、ヒット品種を作った人だけが評価される、競争が激しい世界。結果を出せずにドロップアウトしてしまう人も少なくありません。才能があっても、会社都合で育種家をやめなければならない人もいるし、まして会社を辞めたらなかなか続けられない仕事です。
元サラリーマン育種家として、引退後も第二の人生で輝いているロールモデルになれたら、若手の不安を薄れさせることができると思っています。もちろん若手だけでなく、自分の潜在能力を発揮させることも含めてです(笑)。

偏愛マニア探訪後記

スーパーに行けば当たり前のように並んでいる野菜や果物。生花店で売られている季節の花。その背後には、多くの先人達による数え切れないほどの知恵や努力が重ねられています。
人々の暮らしを彩り豊かにするだけでなく、文化や経済、外交、風景まで変えてしまう。育種家とは、時に世の中をガラリと変革するイノベーションの仕掛け人なのだと思います。

ヒット商品を生み出し、育種家として表彰され、ご著書も何冊も出版され……。ご本人は「運が良かった」と謙遜されますが、お話を伺うと、竹下さんの眩しいようなご活躍の裏には、思いがけない挫折や地道な努力もあったのだと知りました。

何があっても応援してくれた方々への思いに応え、力強く柔軟に新たな道を切り開き続けるお姿に、勇気をいただけました。

※記事内の写真はすべて竹下大学さん提供

取材・文/村田あやこ
路上園芸鑑賞家・ライター。街角の植物や路上にはみだす園芸に心惹かれ、その魅力をSNSやWeb、書籍などで発信中。2016年よりデザイナーの藤田泰実氏と路上観察ユニット「SABOTENS」を結成し、作品展示やグッズ制作なども行う。著書に『たのしい路上園芸観察』(グラフィック社)、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』(雷鳥社)など。2021年よりフジテレビ『ボタニカルを愛でたい』に出演中。
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