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人知れず命が巡る、小さな生き物たちの世界 | コケ愛好家・藤井久子さん【偏愛マニア #11】

「好き」で続けてきたことがどのように仕事につながってきたのか、「偏愛」を軸に活動をする方々のお話を伺いながら紐解いていく「村田あやこの偏愛マニア探訪記」。
今回ご登場いただくのは、コケ愛好家の藤井久子さんです。

藤井さんは、フリーの編集者・ライターとして活動する傍ら、旅先の屋久島で出会ったコケをきっかけにコケの世界に魅了され、書籍や観察会などでコケの魅力を発信されています。
コケに魅せられたワケや、コケを中心とする小さな生き物たちの世界について、たっぷりとお話を伺いました。

藤井久子(ふじい・ひさこ)さん
20代半ばで行った屋久島をきっかけにコケに興味が湧き、独学でコケを学ぶ。岡山コケの会、日本蘚苔類学会会員。著書に『コケはともだち』『新 知りたい会いたい特徴がよくわかるコケ図鑑』『コケ見っけ!日本全国もふもふコケめぐり』ほか。

学校の課題で好きな「コケ」のブログを開設

――これまでのキャリアヒストリーについて伺えますか?

大学卒業後は編集プロダクションに勤めていました。
パンやチーズなど、食の中でも専門分野に特化した本や雑誌などを作る会社で、主な読者は職人やメーカー、飲食業者、小売業者など、仕事として食に関わる方です。例えばパン屋さんの場合、自分が勤めているお店の技術は知ることができても、他店の技術を学ぶチャンスはあまりないですよね。そうした方向けに、プロ向けの機材を使用した有名店のレシピなどを紹介する本を作っていました。
10年ほど編集プロダクションに勤めた後、退職。当時のつながりで、今も編集者・ライターとしてチーズやパン、農業関係の出版物を作る仕事をしています。
またコケ愛好家として書籍の執筆や観察会のガイドを行うほか、時々自分がほしいコケグッズを自発的に作ったりもしています。

観察会の様子(撮影:野田ふみ)
毎年期間限定で販売している自作のコケカレンダー

――現在は、フリーランスとして活動されています。退職されたのはどのような心境の変化が?

「このまま一生この仕事でいいのかな?」という30代にありがちな悩みを抱えていたんです。食の専門誌を作る仕事はとても楽しいけれど、私自身はパンやチーズを作るプロではないので、難しい面もあって、行き詰まってしまった時期でもありました。
退職後に1年間、マスコミ関係の専門学校に通いました。当時、私は30歳。生徒は高校や大学を卒業した方ばかりだったので、圧倒的に年上でしたね。

――お仕事での経験を経て基礎的な部分から学び直すと、新鮮な発見もありそうですね。

それまで仕事では食のジャンルにしか関わってきませんでしたが、学校ではスポーツの記事を書いたり、文芸関係や校正の勉強をしたりと、色んなことを学べました。

この学校の授業の中で、自由なテーマでブログを開設して原稿を書いてみるという課題があったんです。続けていくには好きなことじゃないと苦痛になると思って、当時好きだったコケに関するブログを作ったんです。

――コケについて、初めて外に発信されたんですね!

こちらの想像を超えてくる生き様や美しさ

――藤井さんがコケを好きになったきっかけは?

育ったのは、神戸の六甲山のふもと。小さい頃は山の草花でおままごとをしたり、泥団子を作ったり、木登りしたりと、自然の中で遊ぶのが好きだったんです。
旅行も好きで、大学時代は「離島サークル」といって、各地の離島を旅するサークルに所属していました。編集プロダクションに勤めていた頃も、休みの日に友だちや家族と自然のあるところに行ったり、山に登ったりしていたんです。

コケがいいなと思ったきっかけは、旅先の屋久島です。
ある時、母を誘って屋久島へ行ったんですが、滞在が残り数日になった時に「やっぱり縄文杉は見ておいたほうがいいでしょうか?」と、現地のガイドさんに尋ねたところ、「屋久島は縄文杉もいいんですが、コケもすごいんですよ」と言われて。ガイドさんに10倍のルーペを貸してもらって、屋久島の地べたに這いつくばってコケを見たのが、コケとの最初の出会いです。
その時は、「コケってきれいだな〜」とは思ったものの、家に帰ったらまた忙しい日々が始まってしまったので、コケはあくまで屋久島の思い出の一つでした。その数年後に、友だちと行った八ヶ岳の林床で見たコケが、すごくきれいだったんです。「そういえば屋久島で見たコケもきれいだったな」と、コケを知りたいと本気で思うようになりました。

みずみずしいコケに覆われた、屋久島の森
屋久島の森は空中湿度が高く、コケが木から垂れ下がる
屋久島の美しいコケの代表種、ウツクシハネゴケ

――屋久島のガイドさんが、コケの道を開いてくださったんですね。

YNAC(屋久島野外活動総合センター)の小原比呂志さんという方です。屋久島が世界遺産になる前から現地で自然ガイドとして活動されている方で、現在は一般財団法人屋久島アカデミーを立ち上げて、オンラインやリアルツアーを通して屋久島の魅力を広めたり、現地のガイドの技術や知識の向上を目指して奔走されています。

まずはコケの写真をたくさん撮って、図鑑と照らし合わせるところから始めて。小原さんに、「コケの学会は本気でコケが好きなら素人でも入れますよ」と教えていただいたので、愛好会や学会にも入会しました。観察会で専門家の先生にストーカーのようについていってコケを見て(笑)、わからないことがあれば質問する、ということを繰り返していました。

スジゴケ属の一種。胞子体がダンスをしているよう
苔庭は日本特有の園芸文化(京都府 法然院)

――藤井さんにとって、コケのどういうところが魅力でしょうか。

生態も生き様も、こちらの想像を超えてくる意外性ですね。そしてとにかく美しい。単純に手触りもいいし、きれいに緑が広がる様子を眺めているだけでも楽しい。園芸として楽しんでいる方もいれば、お寺や苔庭文化もある。幅広い楽しみ方ができるので、追いかけがいのある奥深い世界だなと思います。
私自身は、人間が気づかない足元で繰り広げられている小さな生き物たちの営みに触れる入口になるのも、コケの魅力だなと思っています。

出版をきっかけに、コケ愛好家としての活動が広がった

藤井さんの最初の著書『コケはともだち』(リトルモア)

――コケに目覚めた藤井さん。最初の著書『コケはともだち』(リトルモア)は、どのような経緯で出版に至ったのでしょうか?

当初は、プライベートな友だちにコケのことを語っても、あまり響かなくて。
そんな時に、書店で田中美穂さんの『苔とあるく』(WAVE出版)を手に取りました。当時は、コケについて書かれた本というと、専門書や山歩き用の図鑑が中心で、田中さんの本が唯一の一般書と言ってもいいくらいでした。
コケを好きになり始めた頃に田中さんの本を読んだからこそ、コケに一層ハマったと言っても過言ではありません。

――コケの生態から観察方法、深堀りの仕方まで、楽しく紹介された本ですよね。

当時通っていた専門学校でコケのことばかり話していたところ、卒業するタイミングで校長先生に、「そんなにコケ好きだったら、企画書を書いて出版社に持ち込んでみたら?」と紹介してもらったのが、リトルモアでした。私にできるのも、本を作ってコケの魅力を伝えることだと、企画を持ち込むことに。
リトルモアは植物関係の本をたくさん出しているような出版社ではないんですが、話を聞いてくださったのが理系の編集者の方で、企画を面白がっていただき出版することができたんです。

――『コケはともだち』は、主人公の女性が少しずつコケにハマっていく過程をストーリー仕立てで描きながら、身近な場所で見られるコケを図鑑形式で紹介しています。一つ一つのコケにもキャラクターがあって、ビギナーにもコケの魅力が楽しく伝わってくる本ですよね。

最初の企画書の段階ではもっと図鑑部分のボリュームが多かったんですが、それだとまだ一般の方にはハードルが高いということで、編集者の方にアドバイスをいただきながら、物語仕立てにしたり、コケをキャラクター化したりしました。

――出版後の反響はいかがでしたか?

「小学生でも読みやすいコケの本が出るなんて!」と、研究者の方には衝撃だったみたいです。「学問的な知識を身に着けた研究者の立場では、書きたくてもこういう本は書けない。あなたじゃないと書けない本だね」と、ポジティブな感想をいただけたので、ああ、よかったなと思いましたね。
また荻窪の六次元というお店で出版記念のトークイベントを開催したところ、40名の定員に対して80名ほどの応募があり、2回に分けて開催したんです。私と同じように、コケが好きだけど周りに言っても響かず、誰かとコケの話をしたかったというお客様がたくさんいらっしゃいました。
出版を機に、観察会でコケについて教えてほしいというご依頼をいただくようにもなり、活動が広がっていきました。

アマチュアと専門家をつなぐ

コケ観察会の様子(撮影:野田ふみ)

――先ほど、コケの学会には初心者でも入れる、とおっしゃっていました。プロとアマチュアの垣根が低いのは、コケのコミュニティ特有なんでしょうか?

コケはとにかく研究している人が少ないので、アマチュアの人も大事にするんです。岡山コケの会という愛好家グループの世話人をされている、研究者の西村直樹先生が、「研究者もコケのある場所をすべて巡れるわけではないので、アマチュアの方たちの発見はすごく大事」とおっしゃっていたことがありました。
人が少ないからこそ、いろんな人の目が増えていくことが重要。学会でアマチュアと研究者の垣根を分け隔てないのにも通じていますね。

――多様な方が参加されるコケ愛好家の世界の中で、藤井さんはビギナーと専門家の間をつなぐような発信をされているのが素敵だなと思っています。ご自身の立ち位置について、何か意識されていることはありますか?

「永遠の初心者」であることを忘れないようにしています。私は理学を基礎から勉強してきた研究者ではないものの、「コケが好き」という気持ちはずっと変わりません。
初心者の方が「こういうことが分からない」と思ったとき、いきなり研究者に質問するのはハードルが高いかもしれません。そんなときに、最初に尋ねてもらいやすい距離にいたいなと思っていますね。
2011年に最初の本を出してから、毎年のように観察会のご依頼をいただいていますが、あくまで初心者向けの、入門編としての観察会というスタンスはずっと変わりません。

その後出版した図鑑『知りたい会いたい 特徴がよくわかる コケ図鑑』(家の光協会)でも、ルーペで見分けやすいコケを紹介する、というのがコンセプトになっています。詳しい図鑑や専門書だと、顕微鏡を使わなければ見分けられないコケまで載っているんですが、一般家庭で顕微鏡をお持ちの方はめったにいないですよね。
100%正確でなくてもいいから、ルーペを使って「9割方くらいでだいたいこの種類のコケだ」と同定できるようになりたいというのは、私自身が思っていたこと。入門書と専門書の距離を埋めるような、自分自身欲しいと思う図鑑というのを意識して作っています。

別の生き物の世界にふれる楽しさ

タマゴケ。毎年春になると”目玉おやじ”のような胞子体をつける

――コケを好きになって、長年にわたってその魅力を発信されたり、深めてこられたことで、人生観はどのように変化しましたか?

ずっと追い続けられる人生の楽しみが見つかって良かったなと思いますね。
コケにハマる前は、人間の世界にどっぷりつかっていたので、対人関係に一喜一憂するのが大きなストレスになることもありました。
一方、コケはずっとそこにいて、追究し続けられるもの。コケをきっかけに、その周りにいる小さな土壌生物や変形菌、菌類など、地球を支えて、見えないところで人間と同じように営みを続けている生き物たちの存在に気づき、価値観が広がりました。
精神的に生きやすくなりましたね。

ムツデチョウチンゴケ。小さなコケも見上げたら巨大な植物のよう

――人間の知らない世界がちゃんと存在して回っていると知るだけでも、視野が広がりそうですね。

野外に出るだけで気分が変わるし、人間のことなんて関係ない別世界に、ちょっと入れてもらえる感覚があるんです。コケが魅力的でそれを追究したいという思いももちろんありますが、私自身の気持ちも前向きに、元気になれるのもありがたくて。いい楽しみを得たなと思っています。

お母様と訪れた、台湾のコケの森

――これからコケ愛好家の活動として、思い描いていることはありますか?

商売と関係なく言うならば、世界各地のコケをもっと調べたいですね。例えば北欧では、身近な森にコケがいっぱい生えていて、それをクリスマスリースやほうきにして楽しんでいるそうです。また最近、『コケのきょうだい』(トゥーヴァージンズ)という、台湾原住民の神話をベースにしたコケの絵本も出版されました。こうした各地のコケにまつわる文化を追究していきたいです。
またコケと近い場所にいて、コケよりもさらに認知度が低い地衣類のことも、もっと知って魅力を広めていきたいと思っています。

――コケを中心に、横へ縦へと視点が広がっていって、藤井さんがどのような発信をされていくのか、これからも楽しみにしています!

偏愛マニア探訪後記

街を歩いて何気なしに道の端っこや石垣に目を留めてみると、小さな小島のように、モリッとコケが生えていることがあります。ときどきコケの上に、別の植物が芽吹き、かわいらしい坪庭状態になっていることも。
コケっていいなあ。コケってどういう生き方をしているんだろう。
コケに興味を持ち始めた時に、SNSで藤井さんの観察会のお知らせを見かけて参加したのが、藤井さんと初めてご一緒するきっかけでした。

ルーペを手に、地面や壁にじーっと張り付いてコケを見てみると、肉眼とは全然違う風景が広がっていました。下町の住宅地や森の中だけでなく、ビルばかりの大手町のオフィス街にも、様々な種類のコケがいたことに驚きました。

コケにすっかり惹き込まれたのも、藤井さんの楽しい解説があったから。初心者にも分かりやすく、コケの生態や魅力を解説してくださいました。コケに対する知識はもちろんのこと、コケ愛あふれる気さくなお人柄にすっかり魅了されました。
そして「コケが好き」という思いを共に集まった参加者の方々と、ゆっくり時間をかけてコケを観察する観察会には、とても平和な時間が流れていました。

苔庭の文化があり、北から南まで美しいコケの広がる日本。コケを探究したら、日々の暮らしも旅ももっと楽しくなりそうです。
藤井さんの本を手に、各地のコケに会いに行ってみようと考えている、今日このごろです。

※記事内の写真はすべて藤井久子さん提供

取材・文/村田あやこ
路上園芸鑑賞家・ライター。街角の植物や路上にはみだす園芸に心惹かれ、その魅力をSNSやWeb、書籍などで発信中。2016年よりデザイナーの藤田泰実氏と路上観察ユニット「SABOTENS」を結成し、作品展示やグッズ制作なども行う。著書に『たのしい路上園芸観察』(グラフィック社)、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』(雷鳥社)など。2021年よりフジテレビ『ボタニカルを愛でたい』に出演中。
instagram/@botaworks


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