【短編小説】ソーダの季節

 電車を降りると、出迎えてくれたのは熱を帯びた空気と蝉たちの合唱だった。地方在住の蝉も、都会にいるのと負けず劣らずでけたたましかった。
 そこかしこで蝉が鳴く夏のある日、電車に乗って宛てもない旅に出た僕は、車窓から見えた向日葵に目を奪われ、電車を降りた。どうやら近くに向日葵畑があるらしい。うだるような暑さではあるが、バスもタクシーも来る気配が無さそうなので、歩いてそこへ向かうことにした。お供は、駅近くの売店で買った、昔ながらのソーダの瓶が数本。リュックサックの中で、瓶同士が軽くぶつかり合う涼しげな音が、せめてもの救いだった。
 歩いて十分少し、黄色い絨毯が目の前に現れた。その広大さと鮮やかな黄色に思わず目が眩む。けれど、向日葵一本一本の生命力に、不思議と元気をもらえた気がした。
 向日葵畑の中に足を踏み入れると、まるで迷路に迷い込んだような心持ちになった。冒険心を掻き立てられてどんどん先へと進んでいくと、向日葵の中に小柄な人影が見えてきた。ワンピースを着て麦わら帽子をかぶった、十代後半くらいの少女のようだった。ただ、周りに大人はおろか、人影すら見えない。この少女だけが向日葵畑の中にぽつん、と取り残されているように立っていた。焦っている様子では無さそうなので、地元の子だろうか。だが、それにしては、何とも言えない異様な雰囲気を纏っているような気がした。
 少し小腹が空いていたこともあったので、この辺りに食事処は無いか彼女に話しかけようとした。
「思い出すことがあるの」
 僕が近づいてきたことを察知したのか、ソーダ色のワンピースをなびかせて、その子は快晴の空を見上げながら唐突に話し始めた。
「みんなでこの向日葵畑を見て、その後に海に行った時のことを」
 向日葵に圧倒されて気が付かなかったが、確かに風は潮の香りを含んでいる。スマートフォンで位置情報を確認すると、この向日葵畑から少し歩いたところに、浜辺があるようだった。
「みんなって?」
 僕が聞き返すと、少女は顔の向きを依然として変えないまま答えた。
「わたしの家族。お父さん、お母さん、それに弟がいたの」
 過去形であることに疑問が残ったが、それ以上聞いてはいけない気がした。
「うん、過去形なのはね、みんな死んじゃったから」
 僕の心の内を知ってか知らでか、今度は俯きながら答えが返ってきた。
「みんな……死んじゃったの……海に溺れて……」
 少女の声は震えていた。何と言葉をかけたらいいのか分からない僕は、ただ黙って少女を見つめるしか出来なかった。しばしの沈黙の後、我に返った少女がようやくこちらを向いた。
「ごめんね、お兄さんには関係ないことなのにね」
「いや……。あ、それよりさ、これ。もし良かったら」
 気まずさを振り払おうと、咄嗟に僕はリュックサックの中からさっき買ったソーダを少女に差し出した。日の目を見た水色の瓶が、太陽光を反射し輝きを放っている。
「綺麗……ありがとう」
 少女は一瞬うっとりとした表情を浮かべたが、瓶を受け取り少し早口でお礼を言うと、すぐにまた寂しさを湛えた表情に戻ってしまった。それから、ソーダをくいっと飲むと、少し穏やかな顔つきになった。
「すっきりして美味しい……ソーダはね、わたしと弟が好きなの」
 その場しのぎの行動だったが、亡くなってしまった弟を思い出させてしまったのなら、余計に彼女の心の内を抉ってしまったかもしれない。ただ、そう思いつつも、この子もソーダが好きならいいかな、と何とも複雑な心境になった。
「気にしないで。わたし、ソーダが好きだから、この服を着ているの」
 僕の思考を読んでいるかのような返答をしながら、少女が僕にワンピースを広げて見せる。澄んだ水色の生地は、今にもソーダの瓶や空に同化しそうで、彼女の雰囲気にもよく合っているように思えた。弾んだ声で少女が続ける。
「この服、すごくお気に入りなの。学校は制服だから普段は着れないけれど、休みの日になるとだいたいこの服を着ているの」
「すごく似合っているよ」
「本当!? ありがとう!」
 麦わら帽子の下から、ようやく向日葵のような笑顔が花開いた。年相応に喜ぶ様子に、思わず僕も口元が綻ぶ。
 だが、その表情も長くは続かなかった。少女は、はたと何かを思い出したのか、再び表情を曇らせ始めた。どうしたのだろう、と声をかけようとする直前、またしても先に少女が口を開いた。
「あのね、お父さんやお母さん、それに蓮――弟の名前なんだけど――みんなのことを思い浮かべたら寂しくなっちゃって」
 親戚の人は? 今は誰と暮らしているの?
 いろいろ聞きたいことはあったけれど、聞くのは野暮な気がして疑問は全て心の内にしまった。
「ねえ、どうしたらまたみんなに会えるかな。わたし、また会いたいよう……」
 もう一生会えないよ、なんて口が裂けても言えない。きっと夢の中で会えるよ、なんて言う気にもなれなかった。
 どうしたものかと考えを巡らせていると、僕はふと電車を降りた時のことを思い出した。観光地として力を入れている訳ではない地方都市のひとつであるにも関わらず、今日はやけに人が多いように感じていた。夏休み中だからだろうと高を括っていたが、それだけではない。今の時期は帰省ラッシュの真っただ中だ。
「「会いたい」って、心の中で何度もお祈りしてみたらいいんじゃないか?」
 我ながら気休めだろうと思ったけれど、今の僕にはそれしかかけてあげる言葉が見当たらなかった。
「わたし、もう何度も心の中で「会いたい」って思い続けてきたよ」
「「思う」だけじゃ駄目だ。心から祈るんだ、神様に」
「神様……?」
「そう。まずは神様がいると信じること。それから、「また家族に会わせてください」って祈ってみなよ。その祈りが神様に届いたら、君の家族にも通じるんじゃないかな? きっとお父さんやお母さん、弟くんも君に会いたがっているはずだよ。まあ、上手くいくか分からないけれどね」
 よくもまあ口から出まかせに言えたものだ。これで会えなかったら、恐らく一生恨まれるかもしれない。けれど、少女は純粋だった。
「……! 分かった!」
 一体何を悟ったのだろうか。少女は何かを決意したように力強く返事をすると、急にそわそわし出した。
「そしたら、いつもの場所に行かなくちゃ! ありがとう、お兄さん。わたし、みんなに会えるように頑張るね!」
 そう言うが早いか、少女は海のある方へと、風のように走って行ってしまった。
ソーダ色が見えなくなるまで、僕は思わず背を向ける少女に手を振り、声をかけていた。
「頑張れよ! また会えるといいな~!」

 向日葵畑をひとしきり散策し終えた僕は、ゆっくりと浜辺へと向かった。さっきの少女はまだいるだろうか。淡い期待を胸に抱きながら、僕は潮風を大きく吸い込んだ。
 だが、浜辺に着いて最初に僕が目にしたものは、小さなお墓だった。そこには、たくさんのお花と澄んだ水色の瓶が置いてある。僕がお墓を眺めていると、たまたま通りかかった一人の老人が僕に話しかけてきた。
 地元の老人いわく、三年前、この海で四人家族が溺れて亡くなったらしい。四十代後半の両親と、その娘の十七歳の少女と、息子である十四歳の少年。どうやら最初に溺れたのは息子らしい。溺れている弟を発見した姉が助けに行き、更に助けようとした両親も巻き込まれ、そのまま全員帰らぬ人となってしまったということだ。この悲劇を知る地元の方々は、毎年この季節、お墓に向日葵とソーダをお供えする。なぜソーダもお供えするのか。お姉さんの遺物であるかばんの中にソーダがたくさんあったこと、また、発見された時に着ていた服が、ソーダ色のワンピースだったことからだそうだ。
 恐らくお盆の真っただ中だから、僕はあの子に会えたのだろう。あの子がご家族の皆さんと再会できることを心から願いながら、僕は墓前に手を合わせた。

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